2025/06/09
お釈迦様はあの世の存在を説かれたのかという質問がありました。あの世をこの世と同時に存在する世界という意味であれば、お釈迦様は説いていませんが、過去世や来世については、原始仏典に何度も説かれています。それによれば、臨終の後、今生の行為が引き継がれて、他の生命に生まれ変わるという事です。生まれ変わりを繰り返すことが輪廻であり、苦しみの原因であるので、輪廻を脱するのが解脱であり、解脱とは二度と生まれ変わらない事を意味します。 しかし、この教えには二つの問題があります。一つ目は、仏教では無我を説き、魂を否定しているのに、何が輪廻するのかという問題です。輪廻の根拠は、すべてが因果の道理で成立しているので、一つ一つの行為や言葉の影響は生き続けて次の生命に引き継がれるという事です。過去世の記憶は引き継がないが、別の生命に生まれ変わるということです。別の生命になるなら生まれ変わりとは言えないのではないかと思われかもしれませんが、そもそも、今の私と昨日の私は同一ではない(無常、無我)ので、それを自覚すれば、問題は解決します。 二つ目は、解脱によって、今生で終わるよりも、来世に生まれるほうが幸せではないかという疑問です。それに対してお釈迦様は、来世を望むことを否定しておりません。ただ過去世や来世に執着して、今を疎かにしている修行僧に対してお釈迦様は無記とされ、問題にするなと諭されたのだと思います。 いずれにしても来世の有無に関わらず、今を生ききるのが、お釈迦様の真意であり、それを実証するのが禅であります。また、今回の参禅会を最後に、定期的な坐禅会は休止いたします。個別の坐禅指導は日時の調整をして、随時受け付けておりますのでご連絡ください。合掌
2025/05/02
 今回の参禅会では趙州狗子という公案についての法話をいたしました。要点を記します。...
2025/03/31
4/2の参禅会は葬儀のため、中止させていただきます。次回は5/1ですので、宜しくお願い致します。合掌
2025/01/19
 本年の参禅会の日程を更新しました。次回は4/2の水曜日16時からです。参禅希望の方は事前にご連絡ください。
2024/11/01
私たちは、生の終わりが死で、その中間が人生だと思い込んでいます。人生を直線に表すと、左端が誕生で右端が死で、その間が生存期間と考えます。しかし、時間を線で表すことは思考の世界であり、事実の世界ではありません。本来、時間そのものを線で表すことは不可能であり、生命と時間の働きに、働いた痕跡はありませんし、それを捕まえることもできません。生命や時間に前も後もありませんが、働いた痕跡を思考し、前後に並べれば、前後の時間や人生の歴史があるように思えるだけです。ですが、それはあくまでも影の世界であり、本当の生命や時間には前後はなく、ただ持続する今があるだけです。  過去に生きるという言葉を聞きますが、私たちに過去を生きることはできません。過去を思考している今この時の思いということです。人は今この時から離れることは不可能であり、生命と時間とは今この時だけです。そこが明確になると、今とは説明のできない世界であり、生まれることも、死を迎えることのない不生不滅の世界です。私たちはこの大事を自覚する、しないに関わらず、今この時を生きる以外に道はありません。見えた、聞こえたというのは、生命のはたらいた跡を説明していることで、跡には生命の真相はありません。私たちは生命の痕跡しか見ていませんが、今この時に徹するのが坐禅です。
2024/09/23
西琳寺の本堂は庭の少し奥にあり、駐車場は本堂の脇にあります。先日、お寺で33回忌を行ったA様は、いつも車でお参りに来られているのですが、法事が終わった後、庭を歩いてごらんになって「立派な池を最近作られたのですか」と聞かれました。私が「この池は30年ほど前に、川の上流から水を引いて作ったのですが、気付きませんでしたか?」と申し上げたところ、びっくりされていました。  この話は、人が認識できないものは問題にならないという禅の風光を的確に示したものといえます。池があるという事実が先にあり、それを認識するのは必ず後になります。そして認識してはじめて問題が生じ、池がきれいだ、汚いという喜怒哀楽が生まれるわけです。A様が30年近く気付かなかった池を初めて認識した時に、素晴らしい池だという思いが生まれたという事です。これは日常生活でもよくあることで、毎日通る道を、いつも同じ道と私たちは考えますが、道や景色は移り変わると同時に、私たちの認識もその時々の様相です。そこに気付けば、常に初めての道を通っているといえます。一瞬一瞬が正念場とはそういう意味です。
2024/06/21
 6/4は14名の参禅者で2柱坐り、無我という教義について以下のように法話をしました。...
2024/05/10
     春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえて涼しかりけり...
2023/11/25
2024年の参禅会の日程を坐禅会の欄に更新いたしました。
2023/11/25
洞山了介禅師が悟りを開かれたときに、過水の偈という言葉をお示しになりました。これは、洞山禅師が川を渡っている時に、水に映った自分の姿を見て大事を了得した時の心境を表現しています。水に映っているのは確かに自分であるが、自分そのものではない。今までは、自分そのものではなく、影のほうを相手にしていたと、はっきりと了得したという事です。...

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