管理人のお遍路体験記


仕事で年に数回、大阪から車で四国に出張するので、空いた時間に、四国霊場八十八か所クルマお遍路めぐりをすることにした。出張1回あたり10か寺程度ずつ、数年かけて制覇する計画だ。ちなみに、通し打ちで八十八か所を一周するには、歩き遍路だと2~3か月、クルマ遍路でも7~9日ほどかかる。バイクや自転車、ツアーバスで回る人もいるが、最近の主流はマイカーやレンタカーだ。これなら、場所にもよるが1日あたり10か寺以上は回れる。八十八か所の中にはポツンと一軒家に出てきそうな陸の孤島にあるお寺や、遥か遠い岬の断崖絶壁の寺もあるので、よほど時間と体力がある人以外はクルマ遍路が無難であろう。

御朱印専用の白衣
御朱印専用の白衣

お遍路では、各札所で参拝した証としての御朱印を頂ける。これを何に押してもらうかというと、①納経帳(御朱印帳)、②専用の白衣(写真)、③掛け軸(装丁前)の3つの中から最初に選ぶ。大多数の人は①納経帳(墨書と朱印、1か寺300円)で集めている。②私は専用の白衣(朱印のみ、1か寺200円)に押してもらっている(写真)。③掛け軸用紙(墨書と朱印、一か寺500円)は、あとで表具屋に仕立ててもらうらしいが、かさばるからか、あまり見かけたことはない。各寺とも、原則として午前7時から午後5時までの間、境内の中の「納経所」という建物に誰かしらが待機していて、この時間内いつでも押してもらえる。納経所に備え付けてあるドライヤーは押してもらった朱肉を早く乾かすためのものだ。そうしないと白衣等が汚れるからである。上記納経料のほかに数百円の駐車料金が必要なお寺もある。標高1000m近くあり、別途ロープウェイ(21番、66番)やケーブルカー(85番)を使わないと事実上徒歩でしか行けないお寺もある。

納札 最初は白
納札 最初は白

その他の必需品としては、納札(写真、巡礼回数によって白→緑→赤→銀→金→錦と色が変わる、ちなみに錦は特注、巡礼100周目以上)、ロウソク、線香、ライター、お賽銭など。八十八か所の大部分は弘法大師空海を宗祖とする真言宗のお寺だ。どのお寺も必ず「本堂」と「大師堂」がセットになっている。それぞれ納札箱が置かれているので、納札に住所氏名日付を記入して納札箱に入れる。それぞれロウソクと線香、お賽銭を供し、般若心経と各お寺の真言を唱えて、最後に納経所に行って御朱印をもらうのが一般である。いでたちとしては、白衣に輪袈裟、加えて歩き遍路では菅笠に金剛杖というのが本格的スタイルである。「同行二人」(弘法大師と一緒という意味らしい)と書かれた白いポーチを肩にかけている人も多い。どれも霊山寺(1番)その他の大きな札所で販売している。クルマ遍路の私は白衣に輪袈裟だけだが、白衣には巡礼途中で絶命してもそのまま死装束になり、金剛杖にはそのまま墓標になるという決死の意味があるらしい。


たらいうどん(本文の店とは無関係)
たらいうどん(本文の店とは無関係)

2019年12月某日、発心の道場といわれる徳島県は鳴門市の霊山寺(1番)からクルマ遍路をスタートした。まだ薄暗い朝7時に到着すると、さすがは一番札所、すでに多くの人が山門前のお遍路用品の店で買い物をしている。ここで納札や御朱印用の白衣を買う。初心者と見えたようで、店の人が親切に声をかけて教えてくれる。宗派によって白衣の背中の文字が違うらしい。通常は「南無大師遍照金剛」、私の場合は曹洞宗というと「南無釈迦牟尼仏」と書いた白衣を出してくれた。多くの御朱印が押された白衣を着ている客が店にいたので、あのように着て回ってもよいものかと店の人に尋ねると、「汚れるから、着る白衣と御朱印用の白衣は別にするのが普通で、あのような人は珍しい」と教えてくれた。私は、永平寺で戒名を授かったときの白衣(おいずる)を持っていたので、着るための白衣の方は買わずに済んだ。さて、お寺の電話番号をいくつかカーナビにセットし、いよいよ巡礼開始。一番札所から切幡寺(10番)までの十か寺は市街地の近い場所にあり、順打ちで午前中に一気に回ることができた。10番札所の前に名物「たらいうどん」の店があったので昼食をとり(ただし、正直ここはおススメできない)、そこから少し山の中へ入った藤井寺(11番)へ。八十八か所中最古といわれる本尊がある藤の名所だ。次の焼山寺(12番)までの長い山道は「遍路返し」と呼ばれる前半最大の難所のため、11番札所から先の徳島県内は次の機会に譲ることとして、高速徳島道で出張先の愛媛松山に向かった。必ずしも、札所の順番通りに回る必要はないのだ。

オレンジフェリーの船内 レストランや大浴場もある
オレンジフェリーの船内 レストランや大浴場もある

菩提(悟り)の道場と呼ばれる愛媛県の松山では、浄瑠璃寺(46番)から石手寺(51番)までの6か寺を回ったところで初日はタイムアップ。石手寺は文化財豊富な大寺で既に初詣の準備をしていた。翌日の仕事を済ませてから、太山寺(52番)・圓明寺(53番)、高速松山道で西条市に移動して香園寺(61番)へ。通常の木造のお寺とは異なり、モダンな鉄筋コンクリ造りの大寺院だ。ここから前神寺(64番)までの4か寺を急いで回って東予港の大阪行き貨客船、オレンジフェリー乗り場へ。夜10時発、翌朝6時着の瀬戸内航路で大阪に帰るのだ。寝ている間に着くので、帰りに長距離運転しないで済むのは楽だ。ダイヤモンド・プリンセス号とまではいかないが、なかなか豪華な全室個室の新造船である。ただし、普通のシングルでは部屋に鍵がかけられないし、壁が薄くて隣の部屋のいびきも聞こえる。耳栓をして、ほとんど揺れを感じることもなく眠りについた。初回のマイカー遍路では1泊2日で合計22か所、全体の4分の1を回ることができた。この後、年が明けて世の中はコロナ一色となろうとは、まだ知る由もない。


最終札所 八十八番 大窪寺 山門
最終札所 八十八番 大窪寺 山門

コロナが下火となった2020年11月某日、久しぶりに出張が入ったので、大阪への帰り道に涅槃の道場と呼ばれる香川県を通り、2回目のマイカー遍路をすることにした。コロナ対策として、手水・線香・振鈴・声に出しての読経はしない。まずは宇多津町の郷照寺(78番)から坂出市の白峯寺(81番)までの4か寺を一気に回る。高松市内で一泊し、翌朝は根香寺(82番)から源平合戦の地で知られる屋島寺(84番)までの3か寺を回り、ケーブルカーで山上の八栗寺(85番)へ。その後、乗り場近くにある讃岐うどんの有名店「山田家本店」で昼食。ちなみに関東の山田うどんとは関係がない。午後は志度寺(86番)から最終札所大窪寺(88番)へ。コロナの影響だろうか、最終目的地という割にはお遍路さんの数は少ない(写真)。四国霊場八十八か所すべてをコンプリートすることを「結願」という。希望者には結願証明書を発行してくれるらしい。ここで歩き遍路は金剛杖を奉納し、最後に弘法大師のまします和歌山・高野山に向かうのが御礼参りである。私はまだ途中を飛ばしているので、もちろん結願ではない。今回は1泊2日で合計11か所を回って高速香川道で大阪への帰路についた。まだ全体の8分の3だ。 


遍路返しの難所 十二番札所 焼山寺 山門
遍路返しの難所 十二番札所 焼山寺 山門

2021年2月某日、3回目のマイカー遍路。今回は、1回目で回り切れなかった徳島県内の残りのお寺をすべて回る。初日は平地の恩山寺(18番)から南下して平等寺(22番)、日和佐の薬王寺(23番)と回り、ここで一泊。徳島県最南端のため、次の札所は高知県の最御崎寺(24番)になるが、80キロも離れているので次回に回し、翌朝一番に太龍寺(21番)のロープウェー乗り場に向かう。土曜日なのに同乗者は1組だけ。雄大な四国山地を眺めながら往復で約20分、料金2600円なり。山頂の寺に滞在30分ほどで、そそくさと勝浦町の鶴林寺(20番)に向かうが、こちらの寺も山の上にあり、道中も狭いうえに見通しが悪い。「点滅していたら対向車が来ている」という無人信号機は初めて見た。これを無視して進むと、延々バックさせられるはめになり、えらいことになる。その後は市街地に出て井戸寺(17番)から大日寺(13番)まで一気に逆打ちで回る。国分寺(15番)は八十八か所で唯一の曹洞宗のお寺だ。そして、いよいよ八十八か所めぐり前半戦の最難関、焼山寺(12番)に挑む。事前に得た情報では、遍路返しと呼ばれる藤井寺(11番)から向かう道より、大日寺(13番)から逆打ちする道の方がまだまし、とのこと。それでも、ところどころ車が対向できない細い山道を恐る恐る走る。ガードレールもない崖が続き、落ちたら一巻の終わりという箇所も少なくない。当然、バックするのも容易ではないので、対向車が来ないことを祈りつつ30分ほど進む。山の頂上の意外に広い駐車場には、意外にも多くの車が来ていた。雨や雪の日には絶対に通りたくない道であった。なんとか無事に町に下りて徳島ラーメンを食べて帰る。これで発心の道場、徳島県内の23か寺はすべて制覇、合計45か寺となり全体の半分を超えた。が、高知県内のお寺はまだ手つかずだ。高知県は16か寺と数が少ない上に次の札所までの距離が遠い。まさに修行の道場といわれるゆえんである。


第60番札所 横峰寺 3番目に標高が高く、冬季閉鎖
第60番札所 横峰寺 3番目に標高が高く、冬季閉鎖

2021年4月某日、4回目のマイカー遍路。今回は、いよいよ修行の道場、高知県に入る。まずは、大阪南港夜10時発の愛媛・東予行きオレンジフェリーに乗船。時短要請中の大阪では飲食店は夜8時までの営業だが、夜行フェリーのレストランは夜8時から開店で、夜11時までお酒も飲める。前回乗船同様、愛媛名物「鯛めしセット」を食べて、そそくさと自分の個室へ。今回は「デラックスシングル」にグレードアップした。普通車1台分込みで2万円。この個室は「シングル」と違って部屋の鍵もかかるし、隣の部屋の物音も聞こえない。ぐっすり寝て朝6時に東予港で下船し、朝一番で愛媛の60番札所、横峰寺に向かう。冬の間は通行止になるので行けない、山の上のお寺だ。道が細くて険しいため、登山参拝バスが出ている。ネットで調べ、始発の少し前に発着場に行くと、係員はいたが、バスが出るのは30分以上後で、自分の車で登った方が早いという。どうやら乗客が溜まるまでバスは出さないらしい。本当は避けたかったが仕方なく、自分の車で有料道路(往復1850円)を通り、山上へ向かう。事前の情報どおり、対向できない山道が何キロも続くが、山の上の札所への道はどこも同じようなもので、だんだん慣れてきた。幸いにも対向車に出会うこともなく、20分ほどで横峰寺に到着した。10分ほどでお参りして納経所で朱印もらい、直ぐに下山。ここから国道194号を通り、四国を縦断して高知へ向かう。

第35番札所 清滝寺 文句なしダントツ一番の難路
第35番札所 清滝寺 文句なしダントツ一番の難路

2時間ほどで修行の道場、高知県の最初の寺、第35番札所、清滝寺に到着。しかし、写真の山門をくぐった後、地獄を見る。これより細い車一台分の道が寺まで数キロ続く。しかも登山並の急斜面で、ヘアピン切り返しも多く、ほとんど見通しがきかない。途中に待避所もほとんどなく、対向車が来たら終わり、運転に自信がある人でも泣きたくなるであろう。恐怖に怯えながら、お釈迦様に祈る「対向車が来ませんように」。クルマ遍路返しの難所としては、四国霊場八十八か所中、文句なしのダントツ1番であろう。幸い対向車には会わなかったが、この寺だけは二度と車では行きたくない(申し訳ないが、道がこのままでは、一生行かないと心に決めた)。納経所では切なる願いを込めて、参道整備協力金200円(任意)を払った。 

カツオタタキ定食
カツオタタキ定食

その後、第36番、34番、33番、32番と逆打ちし、高知市内の道の駅で昼食。やはり初カツオの季節、高知といえばタタキ定食で決まり。関東とは違い、皮つきを炙った香ばしいカツオを塩で頂く。これはこれで非常に美味い。食後は高知県の一方の最南端、室戸岬まで一気に車を走らせ、第24番札所の最御崎寺へ。ここも山の上の寺だが、参道の道は舗装されていて走りやすい。ここから戻りがてら第25番、26番と順打ちし、奈半利という町で一泊。翌朝はゆっくり出発し、前日回り切れなかった高知市郊外の第27番から31番まで順打ちしてから高知を後にした。高知自動車道で一気に四国中央へ。愛媛の最東端、第65番の三角寺に参拝したところで、この日は時間切れ。明日は涅槃の道場、香川県に入る。観音寺のホテルで二泊目。

唯一同じ場所にある、第68番と第69番
唯一同じ場所にある、第68番と第69番

翌朝、近くの第68番神恵院と第69番観音寺へ。なんと同じ場所に2つの札所がある、四国霊場八十八か所の中で、次の札所までが一番近い(100m)。納経所に至っては同じ建物で、2つの朱印を押してくれる人も同じだ。次の札所まで100キロ近く離れている札所もあるから、おトクに2か寺回れるというべきか。その後、第70番、67番と回り、いよいよ四国霊場八十八か所の最高峰、第66番札所の雲辺寺へ。

標高900mもある雲辺寺へは、雲辺寺ロープウェイに乗る。山頂駅まで7分ほどかかる。既に回った、焼山寺、横峰寺、太龍寺、鶴林寺の標高と比較した看板があった。この寺には、見事な五百羅漢の石像が実際に500体あり、その一つ一つの表情・姿態がすべて違い、ユニークで非常に見ごたえがあった。もう一度行きたい寺である。

広すぎる善通寺境内 左が本堂
広すぎる善通寺境内 左が本堂

その後、第75番札所の善通寺に移動する。ここは四国霊場八十八か所中、一番大規模な寺と思われた。本堂の本尊はほぼ大仏大、大師堂からの距離は数百mもある。地元では金毘羅さんと並んで観光名所になっているらしく、駐車場には観光バス、クルマは百台前後、大勢の観光客でにぎわっていた。その後、周辺の市街地の札所第74番から71番までを逆打ちした。

再び食べたい、さぬきうどん
再び食べたい、さぬきうどん

76番金倉寺の門前に釜揚げ讃岐うどんの店「長田IN香の香」があったので入ってみた。観光客向けではなく地元客向けのようだが、超有名店らしい。日曜日の午後2時なのに行列ができており、注文するまで10分。400円で1.5玉を頼み、番号札をもらう。店は混んでいて、なかなか自分のうどんが出てこない。様子を見ていると、一つの釜で約10食分ずつ茹でているみたいで、回転は非常に悪い。結局、うどんが出てくるまで更に20分、合計待ち時間30分なり。どんぶりに入った熱いうどんを、写真の大徳利に入っている熱いタレにつけて食べる。今まで食したことのない風味のつけタレで、うどんの既成概念を変える斬新な味。確かに混んでいることだけはある。たらいで3~4玉、一人で食べている人もいた。その後、第77道隆寺を参拝して、これで涅槃の道場、香川県内の寺もすべて制覇、残すは15か寺のみとなった。もっとうどんを頼めばよかったと少し後悔しつつ、岡山へ向かった。


鯛めしと迷って鯛だしラーメン
鯛めしと迷って鯛だしラーメン

2021年12月某日、コロナが落ち着き、世の中が以前の姿を取り戻しつつある中、5回目にして最後のマイカー遍路の旅に出発。今回は残りの15か寺を一気に回る計画。まずは大阪南港から例のオレンジフェリーに乗って船内レストランで腹ごしらえ。今回は「鯛だしラーメン」。ここでしか食べられない深い味わい。一杯飲んで寝ているうち、夜行8時間で朝6時に愛媛東予に到着した。この時期まだ外は暗い。まずは今治市内に向かい、寺の納経所が開く朝7時ちょうどに延命寺(54番)に到着。既に先客2人。そこから国分寺(59番)まで市内6か寺を1時間半ほどで一気に回る。そこから高速松山道で岩屋寺(45番)へ向かう。定石ルートでは松山インターから国道33号・県道12号を使う。だが、なぜかカーナビは1つ手前の川内インターを降りて県道270号で向かうルートを示していた。確かに距離は近そうだ、と思ったときはこの後、地獄を見ることになろうとは予想だにしなかった。

この看板の先を進むと地獄が待っている
この看板の先を進むと地獄が待っている

井内峠越えのルートだが、県道だし、カーナビで見る限りは問題なさそうに思える。しかし進むにつれ、だんだん道は狭くなり、蛇行はひどくなり、登り坂は急になり、ついに「落石注意」「脱輪注意」「この先通行困難」などの看板が次々に現れる。かろうじて道は舗装してあるが、至るところ落石・落枝・陥没だらけ、ところどころ落葉が堆積していてスリップしやすく、舗装路面が見えないほど。その上、滝のように噴き出す水脈や土砂崩れの跡、この先いつどこで「通行止め」となっておかしくない状況に、だんだん胸騒ぎが高まる。そういえば、さっきから一度も対向車とすれ違わないな(そもそも1台分の幅しかなく、すれ違いできないが)。つまりは地元民でさえも使わない嫌道なのだ、と気づいたときにはもう遅かった。進めば進むほど、いま来たひどい道を引き返す勇気がなくなる。行くも地獄・帰るも地獄の悪路が延々と10キロ以上も続く。とにかく脱輪やパンクが心配で、時速15キロくらいしか出せない。こんなところで立ち往生したらレッカー車だって来れない、ここで崖から落ちたら数日間は誰にも気づかれないと思うと、軽いパニック状態に襲われる。熊は出ないだろうか、などと気をもみながら、早く通り抜けたい一心で、とにかく少しでも先に進みたいとアクセルを踏んではブレーキを踏むジレンマ。そうしているうち何とか峠を越えたようで、だんだん道が良くなってきた。集落も見えてきて、ほっと一安心。まさに生還を果たした気分だった。雪はもちろん、雨の日だったら無事に帰ってこれる保証のない、通ってはいけない道である。やはりクルマ遍路の鉄則は急がば回れ、距離より道幅、カーナビに頼るのは危険だ。ぜひhttps://ohenrocar.com/などのサイトで情報を仕入れてから定番コースを。

秘境の寺、第45番岩屋寺
秘境の寺、第45番岩屋寺

そのように苦労して辿り着いた秘境、岩屋寺(45番)は、まさに読んで字のごとく、岩場にへばりつくように建てられた寺である。標高は700メートル、駐車場から急坂を歩いて20分、本堂まで220段の石段を上がるのがまた一苦労。冬なのに汗が噴き出し息が切れる。ようやく本堂の岩場に至ると、弘法大師が修行した跡の洞穴があちこちに。

危険な梯子を上った、法華仙人堂跡からの眺め
危険な梯子を上った、法華仙人堂跡からの眺め

そのうちの洞穴の一つは、「法華仙人堂跡」と呼ばれ、上の写真のはしごから登れる。ただし、高さは10メートル近くあり「危険につき転落しないよう注意、怪我しても責任は負いません」との看板があるとおり、ほぼ垂直に近い、手摺のないはしごを15段も上る。子どもや高齢者はまず無理で、かりに上れても下りるのが相当危険だ。上がって見た景色を写真にパチリ。

ウマすぎる安すぎる刺身の4種盛1100円
ウマすぎる安すぎる刺身の4種盛1100円

その後、松山インターから来ていれば本来通るはずだった県道12号を20分ほどで大寶寺(44番)へ。文句なしの広い二車線道路。やはり、この定番ルートを使うべきだったと反省しつつ、その後、少し離れた宇和島へ向かう。ここでもカーナビ上では峠越えで真横に移動するのがはるかに近道のように見えるが、さきほど痛い目に遭ったばかりなので、迷わず松山インターまで北上して高速松山道を南下する迂回ルートを選択。1時間ほどで明石寺(43番)へ。佛木寺(42番)、龍光寺(41番)と逆打ちし、宇和島を後にして愛媛県最南端の愛南町に向かう。宇和島からは下道しかない。1時間ほどで自在寺(40番)に到着、ここで一日目は終了。愛南町で一番大きそうな、結婚式場・ボウリング場併設のホテル〇〇〇〇〇を予約していた。お遍路さん証明(朱印帳など)で宿泊料が割引になるサービスに目が留まったからだが、それでも7150円。ところが到着してみると、そこは一瞬、廃墟ホテルかと見まがうほどの古さ。部屋の中も、壁紙は剥がれ、障子は破れたまま、お世辞にも綺麗とはいえない。築50年は経っているだろうか。多分、今まで泊まった中で一番のがっかりホテル。正直、今からでもホテルを変えたいくらいで、わずかな割引に目がくらんだ自分を責めずにはいられなかった。あまり部屋に居たくないので、ホテルの中にあったレストランで時間を潰すことに。自分の経験では、食事を前もって予約していない限り、田舎のホテルではロクなものは食べられない。メニューを見て1100円の刺身盛合せとビールを注文。もちろん、値段からしても全く期待していなかった。ところが、である。予想を大きく裏切り、今まで食べた刺身の中で1、2を争う、信じられないくらいの美味さ。マグロ・ブリ・イカ・タイの4種盛りだったが、どれもウマ味成分が最高潮。魚は新鮮なほど美味いというわけではない、魚の熟成タイミングを知り尽くした一品。この味でたったの1100円とは!このクオリティなら倍の2200円でも安いくらいだ。明らかに値付けを間違っている。今度ここに来たときは泊まらずに食事だけ、確定。 

弘法大師が甲羅に乗って修行したと伝えられる大師亀
弘法大師が甲羅に乗って修行したと伝えられる大師亀

二日目の朝は6時半にホテルを出発。途中で延光寺(39番)に寄り、延々と下道を2時間かけて、四国霊場八十八か所中で最遠の陸の孤島、高知県は足摺岬の金剛福寺(38番)を目指す。第1番札所から最も遠い場所にあるのでウラ高野とも呼ばれている。一筆書きでは行けない、四国最南端の足摺岬の先端にある寺。基本、クルマ遍路では山上の道は避けるのが定石だが、足摺岬だけは唯一の例外で、海岸の道の方が港周辺など狭いので避け、この椿の道とも足摺スカイラインとも呼ばれる広い整備された山道を通る。ようやく到着すると、そこは竜宮城を彷彿とさせる雰囲気の、亜熱帯植物が茂る珍しい寺であった。

荒波押し寄せる、断崖絶壁の足摺岬
荒波押し寄せる、断崖絶壁の足摺岬

寺から歩いて5分で足摺岬のシンボルの灯台がある断崖絶壁。近くには中浜万次郎(ジョン万次郎)像が建っている。おそらく今後二度と来ることはないであろう、四国の最果ての地。あまりに不便で遠すぎる。ここだけは十分に観光も楽しんで目に焼き付け、いよいよ四国霊場八十八か所満願となる寺、岩本寺(37番)を目指す。ただ、これまた遠い。いま来た道を延々と1時間戻り、さらに高知県の海沿いの下道を土佐清水・中村・四万十川を渡って黒潮とさらに1時間走って最終目的地・四万十町を目指す。

途中の道の駅なぶら土佐佐賀で、お決まりのカツオタタキ定食。千葉外房に住んでいるので毎日のようにカツオは食べるが、いつも刺身なので、逆にタタキ(炙り塩)が非常に珍しくおいしく感じられる。1300円也、安い。カーナビには出てこない高速道路が出来ていたので、一気に四万十町へ。

ついに四国霊場八十八か所の最終となる寺、岩本寺(37番)に到着。八十八か所で唯一、本尊が5体もある、本堂の天井画が美しい寺である。最終目的地にふさわしい、清流四万十川の上流に建つ札所。こうして2年前の12月から始めたクルマ遍路も無事、結願できた。この間、コロナ禍で四国出張自体が減ったが、それでも足掛け2年、出張5回目で満願を達成できたことに感謝。コロナ対策で、御手水場が使用禁止だったり、あちこち接触禁止だったり、声を出してのお経唱がはばかられたりして、始めたころより作法を簡略化せざるを得なかったが、すべての寺で本堂と大師堂にお参りが出来た。白衣の御朱印もすべてコンプリートし、あとは高野山へのお礼参りを残すだけである。自分の中で何かが変わったことを期待しつつ、四国を後にし、高速高知道で故郷・岡山へ向かった。(おわり)