管理人の授戒会体験記


4月23日午前10時、新幹線ひかり号を米原駅で特急しらさぎ号に乗り継ぎ、福井駅に降り立った。快晴である。えちぜん鉄道の勝山行きに乗ろうとすると、今どき珍しい手売りの切符に改札で鋏を入れ、ホームでは2人の若い女性車掌が出迎えてくれた。都会では見られない光景である。発車して約25分、永平寺口駅に着いた。ここから永平寺まで約10キロある。ちょうどよいバスがなかったので、駅前に1台だけ停まっていたタクシーに乗り込むと、運転手が昨日までと違って今日は暖かいよと教えてくれた。永平寺まで2400円なり。日曜日のせいか門前は観光客で賑わっている。正午までに受付するため、急いで門前の店で永平寺そばを食べ、いざ上山である。今日から6泊7日の修行。身の引き締まる思いで3年ぶりに永平寺の山門をくぐった。

参拝客の入口で授戒会に来た旨を告げると、受付の場所を案内してくれた。そこで申込書に記入し、係のお坊さんに4万円の恩金を支払い、資料一式が入った封筒を受け取った。予め宅急便で送っておいたスーツケースは既に法堂(はっとう)に運んであるという。法堂(はっとう)とは、永平寺境内の七堂伽藍の一番奥に位置し、説法や各種法要が行われる格式の高い建物である。この堂内で1週間起居し、世俗を離れて集団生活を送るのだ。息を切らしながら長い廊下階段を上り、お山の一番高いところにある法堂(はっとう)にたどり着くと、男女別・地域別に荷物を置く棚が決めれられていた。

まずは「永平寺日課経大全」というお経本を1600円で購入し、スーツケースを整理していると、私と同じ千葉から来られたというご年配の方が「お隣なのでよろしく」と声をかけてきた。初めてで右も左もわからない私とは違い、授戒会は今回で9回目の参加だというので驚いた。生前戒名は二つも三つも必要なものではないし、授戒会というのは1回しか参加しないもの、つまりは初めての方ばかりと思い込んでいたからだ。しかし、驚くのはまだ早かった。次々と「1年ぶりですね」「お元気でしたか」という挨拶がそこここで始まり、さながら同窓会のような雰囲気に。最も多い方は16回目の参加だそうである。聞けば参加20数回の最長老の方もいたが、足を悪くされて永平寺ではなく階段の少ない横浜鶴見の総持寺の授戒会の方に参加されるようになったとのこと。繰り返し参加されるベテランの方が圧倒的に多いのである。今年の参加者80数名のうち、初参加は4分の1程しかいなかった。ご年配の方が多く、男性より女性の方が多いが、30歳前後と思われる女性や、既に戒名をお持ちのはずの若い僧侶の方もいた。参加の目的・理由は人それぞれで、生前戒名を頂くためという方のほか、亡きご家族を供養するため、1年間の悪業を懺悔し滅罪するため、仏弟子としての自覚を持続するためという方や、仏法や禅の精神に興味がある、悟りを目指している、お寺や修行が大好きという方など、さまざまな理由や目的で授戒会に何度も参加されているのであった。初めてに近い方はジャージやスウェットで、ベテランの方は作務衣に絡子(らくす、簡易な袈裟)という僧侶と見紛うばかりの本格的ないでたちであった。在家の方ばかりでなく、既に戒名はお持ちのはずの若い僧侶や、フランスから来たという外国人の僧侶の方までいて、記念撮影をしていた。

お散華
お散華

初日の13時半、法堂(はっとう)での「啓建歎佛」という礼拝法要から授戒会がスタートした。持参した毛布を座布団がわりに、私がお経本を畳の上に置いていると、先ほどの千葉のベテランの方が私の横に来て、「お経本を床に直接置いてはいけないよ」と注意して下さった。そのような基本的なことも知らなかった私は、心から有難いと感じた。やがて鐘が打ち鳴らされ、僧侶らが次々と入場し、その数100名あまりにもなった。初めてなので興味津々である。読経が始まり、私が唯一暗記している般若心経もあったので一生懸命唱えた。この「歎佛」と名のつく法要の最後には「散華(さんげ)」と呼ばれる綺麗なカードが何枚か撒かれる。何のことやら意味が分からない私の膝元にも2、3枚のお散華が落ちてきた。私が「?」のそぶりを見せていると、お隣の別のベテランの方が態度で「もらっていいんだよ」と教えてくれた。その方に1枚を渡し、私も1枚を頂いた。寺によっていろいろな絵柄があり、仏壇に飾ったり、財布の中に入れたりすると良いそうである。何だかカード集めみたいで面白い。若い僧侶の方に聞いてみたが、いわゆるコンプリートというのはないそうである。

14時半から説戒が始まった。説戒師を囲んで車座になり、講義を聴くのである。講義といっても学問ではなく、法話に近い。レジュメも特に配られない。「教授戒文」という十六条の仏戒が書かれた小冊子にそって、午前午後に1回づつ、合計11回にわたって内容の説明を受けるのである。道元禅師のお言葉など難しい話もあったが、例えや事例を交えて分かりやすい話もあった。特に印象に残ったのは、「ただ我が身をも心をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、これに従いもて行くとき、力をも入れず、心をも費やさずして、生死を離れ、仏となる」という正法眼蔵からの引用の解説である。「私」というものを忘れたら、私が生きているのではなく、大いなる命が私を生かしていること、同時に他人も猫も鳥も花も石も生かしていることに気づき、山川草木すべての命が光り始める、そのように自分に執着しなくなると後悔も心配もなくなり、生死も関係なくなる、というお話であった。他にも、お釈迦様は仏教を作ったのではなく気づいたのである、お釈迦様とあなたは一つである、だから誰でも気づくことはできる、悟ることもできるというお話もあった。私がこの授戒会に参加した目的は悟りや禅の精神に近づくためであり、ここに来てよかったと心底思えた瞬間であった。

説戒が終わると次は入浴である。本来、浴室と東司(トイレ)は三黙道場(私語禁止の修行)に数えられるが、授戒会では食事中だけが私語禁止で、入浴とトイレについては修行の場とはされておらず自由であった。もっとも、当然ながら、永平寺の脱衣場にドライヤーや整髪料はない。浴室にもせっけんしかない。皆さんシャンプーや整髪料、シェーバーやドライヤーを持参していた。電源は脱衣場の扇風機のコンセントから取っていた。ちなみに、ほとんどの時間を過ごす法堂(はっとう)にも僅かにコンセントがある。見えないところにあるがベテランの方は場所を知っていた。私は知らなかったので、スマホの電池切れを避けるため一週間分の充電池と乾電池を持ってきていた。なお、お湯は温泉質ではないが、とにかく湯加減が絶妙で気持ちがよい。時間を忘れのぼせてしまうことたびたびであった。

四時からは晩のお経である。とにかく読経の繰り返しである。僧侶たちの読経に合わせ、修行のつもりで皆、一心不乱にお経本を読む。お隣のベテランは、法華経の普門品(観音経)や寿量品などメジャーなお経は暗記しているようだ。私など最初ついていくだけで必死であったが、何回も繰り返すうちに慣れてくる。西琳寺の住職が言っていたが、これを朝昼晩毎日2年間繰り返せば、確かにいやでも覚えてしまうであろう。7日間でお経本にある超マイナーなお経も一通り二通り経験した。なお、一連の法要の時間は通常1時間前後であるが、短いと30分、長いと1時間半である。○○県○○寺の参拝団という方々が多く来られると、その先祖代々家の供養(焼香)が加わるので、それだけ長くなる。正座でなくてもよい。私はずっとあぐらをかいていたが、それでも足が痛くなってくる。ちなみに、永平寺では受戒会とは別に参禅修行という3泊4日の雲水修行を毎月開催しているが、こちらは1時間以上の正座ができることが参加条件であり、途中で挫折して下山する人も多いらしい。それでも毎月10日の受付開始と同時に予約の電話を入れないと直ぐに埋まってしまう人気のコースである。当然、参加者の年齢層は受戒会よりもずっと若い層である。

朝昼晩のお勤めのお経が終わると食事の時間である。ここでは食事を飯台(はんだい)と呼んでいる。朝食・昼食・夕食をそれぞれ小食(しょうじき)・中食(ちゅうじき)・薬石(やくせき)という。飯台は修行のひとつとして作法通りに進められる。法堂(はっとう)から大庫院(だいくいん)と呼ばれる部屋に移動すると、雲水たちが汁桶を持って待ち構えている。着席すると弁当箱とお椀が置いてある。まずは飯台導師と呼ばれる禅師が入場し、それぞれ聞槌(もんつい)・展鉢(てんぱつ)・五観(ごかん)・擎鉢(けいはつ)の偈(げ)という漢詩と十仏名(じゅうぶつみょう)を唱え、ようやく「頂きます」となる。弁当箱に入ったごはん(茶碗2杯分くらい)と野菜(煮物・揚げ・椎茸・海草・漬物)のおかずのほかには汁椀だけの精進料理である。時々わんこそばや果物、豆乳パックがつくこともある。肉や魚、卵などの動物性たんぱく質は一切ない。三黙道場のひとつであり、皆さん黙ってもくもく食べる。5分もすると「さいしん」と声がかかり、要するに汁椀のお代わりである。ごはんのお代わりはない。お代わりを希望する人が注いでもらっている間、希望しない人も箸を休めて待っていなければならない。また食べ始めて3分ほどで「じょうすい」と声がかかり、お茶の給仕が始まる。そのお茶でお椀を洗い、箸も洗う。2分ほどで「せっすい」と声がかかり、残したお茶を回収しに来る。餓鬼や衆生に施す意味があるらしい。ちなみに中食では生飯(さば)と言ってごはんも数粒を残すのである。回収が終わると折水(せっすい)の偈(げ)という漢詩を唱え、「ごちそうさま」となる。飯台導師をお送りし、弁当箱とお椀を重ねて終わりである。食べている時間は正味10分。たんぱく質が少ない食事であるが、炭水化物が多いため、意外とお腹がすくことはない。しかも、上げ膳据え膳であり、洗い物は雲水がやってくれるし、作法も厳しくないので、修行という感覚ではない。ちなみに雲水修行では応量器(おうりょうき)というマイ食器セットを用い、風呂敷での包み方をはじめ、一つ一つ厳しい作法に則って使用するらしい。

午後7時からは、法堂(はっとう)の檀上にまします道元禅師をはじめとする歴代和尚様や、毘婆尸仏から釈尊までの過去七仏、阿難陀(あなんだ)から道元禅師の師匠である天童如浄までの五十仏を礼拝する法要(壇上礼・仏祖礼)が行われる(1日目から4日目まで)。これが授戒会期間中で唯一の激しい運動といってもよい。なにせ、立って拝礼・額づいて拝礼を50回以上も繰り返すのである。最も若輩の私でも辛い。70代・80代の参加者にとっては苦行に近く、ついて行けていない方も。30回あたりからは息が切れてくるし、腰も痛くなってくる。終わるとふらふらである。5日目からは夜のプログラムが道場に代わるため、この苦行はなくなる。

礼拝法要が終わると、大庫院(だいくいん)に移動して法話を聞く。その間に、雲水たちが法堂(はっとう)にふとんを敷いてくれるのである。この法話は、日中の説戒とは違って、法話の得意な地方のお寺のご住職が日替わりで個性豊かな話をきかせてくれる。終わるのが午後9時前であり、法堂(はっとう)に戻った順にふとんの位置を決められ、そこで寝ることになる。それゆえ、寝るふとんの場所は毎日違う位置になる。9時10分になると強制的に電気が消されるため、それまでに寝る支度をしなければならない。大急ぎで歯磨きや着替えをし、仕方なく布団に入る。ふだん寝酒の私は、お酒も飲んでいないのに9時過ぎに寝付けるわけがない。予想した通り、1時間たっても2時間たっても眠れない。疲れているので眠りたいのだが、3時には起きなければと思うと気になって余計に眠れない。お隣のいびきがうらめしい。結局、1日目の夜は悶々としてとうとう一睡もできないまま起床時間を迎えてしまった。

3時10分。無情の明かりがつく。30分後には朝の坐禅である。光明堂(こうみょうどう)という道元禅師との接見の間に移動し、座蒲(ざふ)という丸い座布団をもらい、壁に向かって座る。坐禅の作法を教わるのも私の大きな目的である。しかし、昨夜一睡もできなかったせいで、頭はぼうっとし、目もよく開けない。そんなことはお構いなしに、坐禅指導が始まった。まずは靴下や腕時計などを外し、座蒲の後ろに立つ。つぎに膝立ちとなり、座蒲を横から押してふくらませる。立ち上がり、隣の人と向かいの人に礼をして座蒲に座る。足は半跏趺坐(はんかふざ)という略式しか私はできない。手は法界定印(ほっかいじょういん)とよばれる丸い輪を指で作り、体をゆすって中心を決め、息を口から吐く。目は閉じてはいけない、45度下を見る。始まりを告げる鐘が鳴り、いよいよ坐禅が始まった。当然、眠くて集中できない。警策(きょうさく)という棒をもった僧侶がそばを通る。眠いときや妄想が収まらないとき、合掌して求め、打ってもらうのだ。打ってもらおうかどうしようか、迷っているうちに、終わりを告げる鐘が鳴ってしまった。正味10分である。思ったよりずっと短い。正式には一柱(いっちゅう)といって、一本のろうそくが燃え尽きるまでの約40分、と予め聞いていたからだ。しかし、この日は眠いので助かった。明日からは頑張ろうと思った2日目の始まりであった。

その後は、朝の法話(説教)、朝のお経(朝課)を経て、7時ころ朝食(小食)、その後は一列になって「南無釈迦牟尼仏」と唱えながら巡堂とよばれる歩行禅を行い、9時から午前の講義(説戒)、昼のお経(戒壇上供・午時献供)が終わると昼食(中食)、そしてまた歩行禅(巡堂)、午後の講義(説戒)、3時ころ入浴、晩のお経(晡時献湯)、夕食(薬石)と、5日目の夕方までほぼ同じプログラムで繰り返されていく。このように次から次へと修行があるので退屈することはない。1日に1時間くらいの休憩が1回と30分くらいの休憩が2回ほどある。その間は、皆さんお茶を飲んだり(飲み放題)、談笑したり、土産物売り場に行ったり、写真を撮ったりと人それぞれ過ごす。写真は法堂(はっとう)からの眺めである。

5日目の夜からはプログラムに「道場」が加わる。儀式なので、皆さんジャージや作務衣から背広や着物に着替える。その上から「おいずる」と呼ばれる白い袖なしの羽織を着用する(初めての参加者は6000円で購入)。受戒参加記念のスタンプが押してある。1回参加するごとに1個。ベテランかどうかが一目瞭然である。本題に戻ると、まずは懺悔(さんげ)道場。永平寺住職である大禅師の前で一人づつ懺悔し、「小罪無量」と書いた紙を燃やして頂き、滅罪してもらうのだ。6日目の夜には教授道場で仏の十六条戒を受けた後、いよいよクライマックスの正授道場である。須弥壇(しゅみだん)と呼ばれる中央部の檀上に登壇した後、「この戒を持(たも)つや否や」と大禅師から問われ、皆さんで「能く持つ(よくたもつ)」と宣言・誓約するのである。そして、大禅師から一人づつ念願の血脈(けちみゃく、お釈迦様から達磨大師や道元禅師を経て自分まで連綿と伝わる法系図)を授かる。これに戒名が書かれており、初めて頂いた生前戒名がわかるのである。私の場合は「諦然克惇(たいねんこくしゅん)」。本名は「克巳」であり、三文字目に本名から一字使われるのが普通である。なお、ベテランの方は既に戒名をお持ちであり、それを申込時に予め永平寺に伝えてあるので、同じ戒名を書いて頂ける。一体どんな戒名になるのだろうかというドキドキ感は初めての参加者だけである。

これにて受戒は完了であるが、夜も遅いのでもう一泊し、7日目の朝の坐禅と朝食(中食の扱いになる)の後、自由解散となる。9時半から完戒上堂と呼ばれる最後の法要があるが、これは出ても良いし出ずに帰っても良い。内容は小参(しょうさん)といって、参加した僧侶10人くらいが永平寺住職の大禅師の御前に一人づつ進んで質問し、お答えを頂くという問答である。一例を挙げると、嘘をついてはいけないという「不妄語戒」があるが他人を助けるために善意で本当のことを言わない場合でも「不妄語戒」に反したことになるのでしょうか?と若い僧侶が問うたところ、大禅師は「只管打坐」と一言で答えた。すると質問した僧侶は「吉祥、吉祥、大吉祥~」と言いながら満足そうに戻っていった。まさに禅問答である。これが30分ほどで終わると、すべての受戒会のプログラムが終了となり、皆さん家路につくのである。私は、いろいろ教えて頂いたベテランの方ひとりひとりに感謝の言葉を伝えずにはいられなかった。一期一会のつもりが、皆さんから「来年も来てくださいね」と言われ、つい泣きそうになった。長いようで短い1週間の非日常的な不思議な体験であった。自分の中で何かが確実に変わったことを実感しながら永平寺を下山した。来るときは知らなかったが、永平寺前と福井駅を結ぶ直行の大型バスの定期便があった(片道750円)。帰りはそれに乗って、皆さんと一緒に娑婆世界への帰途についた。

 

持参した方がよいもの:ポーチ、コップ、箸箱、耳栓、老眼鏡、ハンガー、便秘薬