2025年5月参禅会

 今回の参禅会では趙州狗子という公案についての法話をいたしました。要点を記します。

 経典に、一切衆生悉有仏性とありますが、これは全ての存在が仏性である、または、全ての存在は仏になることができるという意味です。この教えに疑問を持った趙州禅師の弟子たちが、犬に仏性が有るのか無いのかで論争を始めました。教えの通りであれば、犬にも仏性が有るということになるが、犬が仏であるとは信じられないという趣旨の論争でした。そこで、師匠の趙州禅師に尋ねたところ、一言、無~と答えられました。すると、一人の弟子が、経典には全ての存在は仏であるという教えに矛盾しているのではないかと尋ねたというのが、趙州狗子という公案です。

 

この公案には2つの意図があると思います。一つ目は、犬に仏性が有るか無いかを知識で理解したところで、他人の財産を把握するようなもので、自身の参究とは無関係であり、そこに時間を費やす愚を説いていると思います。さらに仏性が有る無いを論じる前に仏性とは何であるのかを弟子たちは自覚していないということです。仏性とは自己の様相であり、仏性を体現するのが坐禅です。坐禅を作法通りに行えば、仏性とは何か自覚できるとともに、趙州禅師の言われた、無~の意味が、有る無いの無ではないと自覚できるはずです。手足の動き、目や耳の働きも、動いた痕跡を残しません。是非、知識ではなく、実践体現してください。