寺の歴史(西琳寺について)


西琳寺の歴史

西琳寺の御朱印 「諸法無我」 お釈迦様が悟った三法印のうちの一つで、全ての存在は自我意識が作り出した幻影であり本来無我である事実に気付けば究極の安心が得られるという教え
西琳寺の御朱印 「諸法無我」 お釈迦様が悟った三法印のうちの一つで、全ての存在は自我意識が作り出した幻影であり本来無我である事実に気付けば究極の安心が得られるという教え

西琳寺は、今から約700年前、鎌倉時代の中期に真言宗の寺院として開山された後、浄土宗時代を経て、江戸時代初期の1618年、現在の千葉県いすみ市万木の海雄寺の4世嶽應義賢大和尚により、海雄寺を本寺とする曹洞宗の寺院となりました。

江戸時代後期の1860年ころ、本堂が災害で倒壊し、使える廃材を組み直して再建されましたので、300年以上前の姿を今に留めています。その後西琳寺は無住となり、何代も住職が定住しなかった時期が続きましたが、先々代住職が定住し先代住職が境内地を整備して、陽当りのよい寺になりました。

山号(興陽山)の由来

西琳寺の山号は「興陽山」です。第28代(先代)住職の玄龍祖道和尚が名づけました。その意味は、陽当たりのよい寺を復興し、衆生に光を照らす、ということです。度重なる災害や長期の無住により、荒れかけた西琳寺を復興した先々代住職にならい、これから先も人々の希望となり、陽の光となる明るい寺にしてゆきたい、という願いが込められています。

西琳寺が立地するのは山に囲まれた、これより先に道路もない秘境ですが、衆生が自己を拠りどころとし(自灯明)、仏法を拠りどころとして(法灯明)、行き止まりのない道を行く助けとなれば幸いです。

蛍の寺

毎年5月下旬から6月、西琳寺の境内から下流の春日神社までの間の清水川沿いに、源氏ホタルの群生が見られます。気象条件によって異なりますが、多い年では一面カーテンのように蛍が乱舞します。

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御本尊について

西琳寺のご本尊様は、浄土宗寺院の時代の名残りの阿弥陀如来(中央)と、釈迦牟尼如来(左右)の双尊です。

セーロ寺?

大正5年の古い地図では、西琳寺は「さいりんじ」ではなく、「セーロジ」と記載されていたことがわかります。地元でも、古くからお住まいの方は「セーロジ」さんと呼びます。理由は不明。