春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえて涼しかりけり
上記の詩は、道元禅師の書かれたものです。この詩の一般的な解釈は、日本の美しい四季の移り変わりを表現したものとされております。しかし、禅の体感から解釈すれば、春になったから花が咲くのではなく、たくさんの草花が春を表現していると受け取れます。考えの世界でいえば、春になれば花が咲き、夏にはホトトギスが啼き、秋は月がきれいだと思います。しかし、春夏秋冬はあくまで思いの世界であって、草花が茂る時節を春と表現しているのであって、春には実体がありません。
百花春に至って誰が為に開くという禅語があります。春に咲く草花はいったい誰のために咲いているのかと問いかけているのですが、人を喜ばせるために花が咲いているのでしょうか?花そのものは、何かのために咲いているのではなく、きれいとも汚いとも考えていません。花は蝶に蜜を与え、蝶は花の花粉を運ぶという自然の役割を全うしています。ここに損得勘定はないのにお互いが調和のとれた世界です。このように、分別から離れた世界を(あるがまま)(ありのままの自分)と言います。ありのままに生きるとは、思いを中心に好き勝手にするという事ではなく、事実に親しむという事です。
次回の参禅会は6/4の午後4時からです。参禅希望の方はご連絡ください。