住職について Our Principal


西琳寺住職の殿城暢啓です。

 

私ども曹洞宗では、開祖・お釈迦様に始まり、第28代目の中国禅宗始祖・達磨大師を経て、第51代目の日本曹洞宗始祖・道元禅師によって我が国に伝えられた、正伝の仏法を継承していること(血脈)を正統性の根拠としています。拙僧は、この血脈における第84代目に当たり、曹洞禅院・西琳寺の住職としては第29代目に当たります。

鎌倉時代中期からの歴史を有する西琳寺は、2017年、曹洞禅院として中興してから400年目を迎えます。この400年の節目にあたり、西琳寺では、広く仏法と禅の心髄を発信していきたいと願い、このウェブサイトを開設しました。

 

拙僧は、西琳寺第28代住職(先代)の玄龍祖道和尚の長男として誕生しました。寺で育ったため、生死や悟りについて考える機会は多くありましたが、寺を継ぐつもりは全くなく、仏教とは無関係の大学を卒業後、証券会社に就職して営業マンとなり、後に脱サラして後輩と小さな会社を起業しました。その当時はバブル経済期で、成り上がりや富、名声にあこがれ、仕事も収入も極めて順調で、高級マンションに住み、高級車を乗り回し、すべて自分の実力の賜物だと有頂天になっていました。そして、景気が後退期に入ると、商売の内容よりも利益の追求が全てになり、利益のためなら平然と人を切り捨て、いつしか自分だけが助かればよいという考えになっていました。会社を存続させるためにはやむ得ない選択だったのかもしれませんが、多少なりとも仏教の影響を受けて育った私は、次第に利益だけを追求する生活には違和感を覚えるようなりました。振り返れば、「利行は一法なり」(相手を潤わせることによって自分も潤う)という仏法の教えとはかけ離れた日々を過ごしていました。その後、諸事情もあり会社を後輩に任せ、僧侶になるための修行に行くことになりましたが、その直前に読んだ余語翠巖老師(前大雄山最乗寺山主)の著書に「悟りは求めて得られるものではない」という言葉があり、最初の大きな疑問を抱きました。この娑婆世界では求める気持ちや向上心、強い目的意識を持ち、努力邁進することが常識だからです。この老師の言葉の意味が分かれば悟りが得られるのではないかと、淡い期待をもって一年半、大雄山最乗寺で修行したのですが、納得できないまま下山し、西琳寺に戻った現在、坐禅を続けることではっきりと自覚しました。

 

この西琳寺は、本堂は老朽化し、道も行き止まりの小さな寺ですが、檀信徒様に支えられ、寺務や坐禅、畑作りをして生かされております。最近になって「悟りは求めて得られるものではない」という老師の言葉を実感するようになりました。浅学非才ではありますが、皆様とともに禅と悟りの道を歩んでいきたいと思います。 合掌 

I am Choukei Tonoki, the 29th head priest of Sairinji Zen Temple.  I am deemed as the 84th ancestor of the true Buddha Dharma that has been handed down generation after generation through our line of ancestors from the founder of the doctrine, Shakyamuni Buddha.  Sairinji was founded in mid 14th Century and became a Zen temple in 1618. Commemorating our 400th anniversary,  we would expand worldwide the true Buddha Dharma and real spirit of Zen for your enlightenment and world peace.