28日 6月 2020
 数か月ぶりの参禅会にも拘らず、初参禅の方2人を含め、10名の参禅がありました。久しぶりでしたので、今一度坐禅の心得をお話ししました。...
02日 6月 2020
 6月19日より、年間予定表通りに坐禅会を行います。当面はお茶を出しませんので、飲み物は各自持参でお願いいたします。参禅される方は前日にメールか電話をいただければ幸いです。合掌
28日 4月 2020
 新型コロナの影響で、しばらくの間、坐禅会は中止に致します。再開時にはお知らせします。各自、坐禅の実践をお願いいたします。合掌
05日 3月 2020
新型コロナウイルスの影響で明日の坐禅会は中止いたします。お大事になさってください。合掌
04日 2月 2020
正法眼蔵に三界唯一心が説かれていますが、三界唯一心とは、世界は心の作用であるという事です。その心には実体がありませんが、過去に思いをはせ、今と比較する、他者と私を比較することで、悩み、苦悩が生じます。...
19日 12月 2019
 正思について  お釈迦様が初転法輪(悟りを開かれた後の初めての説法)で、説かれたのが八正道です。八正道とは正しい道理という意味で、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の事です。その内の正思、正念について記します。...
09日 12月 2019
 身心脱落という禅語がありますが、これは道元禅師が中国の如浄禅師の下で坐禅中に悟りを開かれた言葉として伝わっています。身心脱落とは身体と心のわだかまりが抜け落ちて自由自在な心境になったという意味です。道元行状記に、道元禅師が恩礼の挨拶に行き、「身心脱落しました。」と告げると、如浄禅師に「脱落の身心だ」と言われ、さらに大悟したと記されております。脱落していない不自由な身心が、脱落して自由になったということではなく、元々脱落している身心の真相に気付かれたということだと思います。これは道元禅師が帰国された時に、眼横鼻直という言葉を残されておりますが、当たり前のことを素直に受け止めることだと思います。坐禅とは元々、無我であった真相に気付くための手段といえるかもしれませんが、何かを得るための手段という表現をすると、坐禅が悟りや脱落する目標になってしまいがちです。そうではなく、元来の真相に気付くことです。  醜い芋虫が綺麗な蝶になるのではなく、芋虫が芋虫のままで安心であると気付くこと、他に逃げ場はないと気付くことが大切です。
24日 10月 2019
坐禅の要点は習禅にあらず、只管打坐であります。習禅とは自分の考えや思いで目標を立てて行うことを意味しますが、只管打坐とはやりがいや見返りを求めず、ただ坐ることとされています。ただ坐るということは、自身の思い考えを休息して今の事実に親しむという事です。...
13日 9月 2019
 修証義に(露命を無常の風に任せることなかれ)という教えがあります。露命とは、草についた露がいつ消えるかわからない程、はかない命、今日一日の保証さえない命を大切に精進しましょうという主旨です。...
06日 8月 2019
 皆様は西遊記に出てくる孫悟空とお釈迦様の勝負を御存知でしょうか?孫悟空は世界の果てまで飛べると言い切り、お釈迦様は私の手の中からおまえは抜け出すことができないと言い切ります。孫悟空は雲に乗りものすごいスピードで飛び立ち、世界の果てと思われる柱に自分の名前を書いて得意満面で戻ってきます。ところが世界の果てと思った柱はお釈迦様の指であったという話です。私は子供の頃この話を見て不思議でたまりませんでした。お釈迦様は数十メートルほどの大きさなのに、あれだけの距離を飛んだのになぜ?という疑問がありました。皆様はこの話をどう考えますか?  話の中のお釈迦様は宇宙の真理の象徴を表しています。孫悟空は人間の世界ではいかに優れた存在であっても、あくまでも強いこと、能力が突出しているといった人間の評価や価値基準から抜け出ていません。宇宙の真理は能力の有無に関係のない世界です。人間がどう理屈をこねようが水は高いところから低いところへ流れ、動物や虫は誰に教わらずとも子孫を残し生存する力を持っています。人間の中でどんなに権力があり、財産があっても世の中を評価や価値基準で考えているうちは本当の安心は得られません。孫悟空とお釈迦様のやりとりはこのことを表現した話だと思います。

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