釈尊直説とは

 

 

釈尊直説とは、人間ゴータマ・ブッダ(釈尊)が自らの口で説いた教えをいう。日本に伝わった諸々の仏経典に説かれた教えは、釈尊自身の言葉ではなく、後世の仏弟子たちが釈尊の教えを自分なりに解釈して経典にまとめたものである。釈尊が生きた時代には当然ながら仏経典はなく、釈尊入滅後の数回にわたる結集(釈尊直説の確認会議)に際しても文字としてまとめられることはなかった。釈尊の教えは当初、詩の暗誦(記憶)の形で代々伝えられた。時代とともに部派仏教の教学理論(アビダルマ)として細分化される過程で小乗パーリ仏教典に編纂され、主に東南アジアに伝わった(南伝)。また、大乗仏教や密教が発展する過程で創作されたサンスクリット仏経典が、シルクロードを経て中国で漢訳され日本にもたらされた(北伝)。

日本に伝わらなかった南伝の初期パーリ教典の中に「スッタニパータ」という最古の経典がある(以下「SN」、通し番号と訳文は中村元・ブッダのことば・岩波文庫)。寄せ集めの経典集という意味で、その中でも最古層とされる第4章(766以下)と第5章(序と結語を除く)は釈尊直説に最も近いとされ、その中には釈尊直説そのものもあると考えられている。なお、以下の表題は後世の教学理論で整理された用語であり、釈尊自身の言葉ではないが、便宜的に使用する。

  

1 苦諦

「アジタよ。世間は無明によって覆われている。世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない。欲心が世間の汚れである。苦悩が世間の大きな恐怖である、とわたしは説く。」(SN1033

*無明(貪り・怠惰・欲心)→苦

 

インドでは、紀元前1500年頃に現在のイランからアーリア人が侵入して土着のドラヴィダ人を征服し、いわゆるカースト制度を統治の基本としていた。アーリア人の子孫を自認するバラモン階級の司祭たちは、その征服民族としての特権意識のゆえに、来世において何物に輪廻転生するか分からないことが苦であったろう。裕福な生活を送っていたクシャトリア階級の王侯貴族たちにとっての苦は、秦の始皇帝と同様、老いて死ぬことへの恐怖であったろう。貧困生活を送っていたヴァイシャ階級の庶民たちやシュードラ階級の奴隷たちは、現世で生きていくこと自体が苦であったに違いない。

このように、苦の対象は人それぞれであり、苦の理由も人それぞれである。とすれば、輪廻転生を苦とするバラモンたちに対しては輪廻転生から解脱する方法を説いてもよかったし、老死を苦とする王侯貴族たちに対しては死後の世界・永遠の命があることを説いてもよかったし、生きること自体を苦とする庶民や奴隷たちに対しては来世で安楽の天界に生まれ変わる方法を説いてもよかったであろう。しかし、後述するように、そのようなことを釈尊は一切説いていない。釈尊が洞察したのは、このように人それぞれの苦であっても、いずれも今ここに現にある苦であり、すべての人々の苦に通じる原因があることである。それを発見し、「現世」において解決するための統一的方法を示したところに釈尊の独創がある。その出発点が「無明」という根本原因の分析であった。

 

 

2 集諦・縁起順観

「メッタグーよ。そなたは、わたしに苦しみの生起するもとを問うた。わたしは知り得たとおりに、それをそなたに説き示そう。世の中にある種々様々な苦しみは、執著を縁として生起する。」(SN1050

*無明→執著→苦

 

ついで釈尊は、なぜ無明(貪り・怠惰・欲心)が苦を生起させるのかを説く。それは自分の思うままにならないものを思いどおりにしたいという「執着」に気付かないからであるという。輪廻からの解脱に対する執着、財産に対する執着、生や若さ・健康に対する執着が、自分の思いどおりにならないという苦を生起させる、というのである。

 

 

3 滅諦・縁起逆観

「アジタよ。そなたが質問したことを、わたしはそなたに語ろう。識別作用が止滅することによって、名称と形態とが残りなく滅びた場合に、この名称と形態とが滅びる。」(SN1037

「内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、このようによく気を付けて行っている人の識別作用が止滅するのである。」(SN1111

「世の中で<快><不快>と称するものに依って、欲望が起る。諸々の物質的存在には生起と消滅とのあることを見て、世の中の人は(外的な事物にとらわれた)断定を下す。」(SN867

「快と不快とは、感官による接触にもとづいて起る。」(SN870

「名称と形態とに依って感官による接触が起る。」(SN872

 

さらに釈尊は、無明が執着を生起させる機序について語り、執着を消滅させる方法を説く。その要諦は識別作用(分別)の止滅であり、認識主体(私)と認識対象(私以外)の分別(私が対象を認識しているという構図)をやめることである。

 

 

4 諸行無常

「人々は『わがものである』と執著した物のために悲しむ。(自己の)所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものである、と見て、在家にとどまっていてはならない。」(SN805

 

自分を含め、すべてのものに独立不変の実体(我=アートマン)がないことを時間的に表現した教えである。すべてのものは常に変化してやまない、という単純な意味ではない。「変化」という概念は「変化しないもの」を前提にしない限り意味をなさないので、無我の文脈からすると矛盾してしまうからである。すべてのものは実体がないから刹那滅において現象しているだけである、というのが無常の意味である。道元禅師は、薪が燃えて灰になる(変化する)のではなく薪は薪、灰は灰であるとか、冬が過ぎて春になる(変化する)のではなく冬は冬、春は春、という。これを「前後截断」というが、無常と同義である。

 

 

5 諸法無我

「師(ブッダ)は答えた、「<我は考えて、ある>という<迷わせる不当な思惟>の根本をすべて制止せよ。内に存するいかなる妄執をもよく導くために、常に心して学べ。」(SN916

 

自分を含め、すべてのものに独立不変の実体(我=アートマン)がないことを空間的に表現した教えである。無からは何も生じないのに、どうしてこの世界が有るのか?我(アートマン)を認めると、あるとき突然この世界が無から生じたことになってしまう。とすると、この世界は無始・無終で他に依存して変化し続けているというほかない。我(アートマン)があると勘違いすると妄執が生まれ、そこから苦が生じる。はじめから無我であったことに気付けば苦から解放される。釈尊の大発見である。

 

 

6 涅槃寂静

「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルバーナの境地である。」(SN1086

 

死のことではない。死の対義語は生、涅槃の対義語は生死(しょうじ)である。現世において無我に目覚め、正死を解決した境地(有余涅槃)のことであり、悟りと同義である。「苦悩」は無くなったが、生身の体がある以上、「苦痛」まで無くなったわけではない。悟りを開いた釈尊も腹痛で亡くなっている。 釈尊の入滅後に、生死を繰り返す輪廻からの解脱という、釈尊が説いていない解釈が生まれたため、最後の生の終わりである死(無余涅槃)という意味でも使われるようになったに過ぎない。

 

 

7 空

「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、死の王>は見ることがない。」(SN1119

 

我(独立不変の実体)がないものの存在の仕方を空という。無我と同義である。初期大乗仏教の理論的支柱である竜樹は言語批判から「相互依存関係」であると解釈し、中期大乗仏教の弥勒・無著・世親は行体験から「唯識」であると解釈したが、いずれも釈尊自身がそう語ったわけではない。ただ、空=非有非無、有るとも無いともいえない、という意味では同じである。

 

 

8 中道

「かれは両極端を知りつくして、よく考えて、(両極端にも)中間にも汚されない。かれを、私は<偉大な人>と呼ぶ。かれはこの世で縫う女(妄執)を超えている。」(SN1042

 

両極端(楽と苦、有と無、肯定と否定など)でもなく、かといって足して2で割った中間でもない。「世の中に絶対的なものはない」という意味である。釈尊直説には「闘争・論争してはならない」という教えが繰り返し説かれている。あらゆる断定を排する、という趣旨であるが、とすると「世の中に絶対的なものはない」という断定も自己否定されることになろう。真実は一つ、絶対だからである。「宗論は、どちらが負けても釈迦の恥」と言われるが、法門は多岐にわたっても、真実に導くための方便として効果がある限り、その間に優劣などあろうはずもない。無我を標榜する仏教では、宗論をして我を立てるなどもってのほかであり、むしろ「宗論は、すること自体が釈迦の恥」というべきであろう。

 

 

9 呪占術・医術の禁止

「わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法と夢占いと相の占いと星占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術や医術を行ったりしてはならぬ。」(SN927

 

釈尊によれば本来、寺院で呪文を唱えたり、加持祈祷をしたり、おみくじやお守りを売ってはいけないことになるが、釈尊が禁止したことでさえ後世の法門に取り込まれる懐の深さが仏教の特徴である。仏教は「方便の体系」と言われるが、自我を解体して苦から解放されるという目的のためには手段は選ばず、その効果さえあるなら方便としては何でもアリなのである。

 

 

10 輪廻転生に対する無記

「(マーガンディヤがいった)、もしもあなたが、多くの王者が求めた女、このような宝、が欲しくないならば、あなたは(中略)どのような生存状態に生まれかわることを説くのですか?」(SN836

師は答えた、「マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』ということがわたくしにはない。」(SN837

 

自分の美しい娘を釈尊に差し出そうとして釈尊から拒絶されたマーガンディヤというバラモンが、そのように欲のない釈尊であればどんな世界に転生するのかと、輪廻と業報を前提とした質問をしたところ、釈尊は質問に答えず、説くこと自体をしなかった。釈尊は、輪廻や業報について、バラモン教徒など説法相手が信じているならば敢えて否定はしなかった、というだけで、輪廻や業報を教えとして自ら「説いた」ことはない。釈尊は、輪廻からの解脱ではなく、むしろ現世において「輪廻転生に執着すること」から解脱すべきことを説いているのである。

 

 

11 死後存在に対する無記

「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか?あるいはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか?」(SN1075

「ウパシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」(SN1076

 

釈尊は、 輪廻はもちろん死後存在についても、肯定も否定もせず、言及自体を無意味なものとして避けている。たとえ言及しても現世における苦の解決には役立たないからである。釈尊といえども経験していない死後のことはわからない。わかるはずのないことを考えているうちに苦を解決できないまま死んでしまうであろう。釈尊は徹底した現世主義・現実主義者であった。

 

 

12 八正道・正定(禅の起源)

「眼を下に向けて、うろつき廻ることなく、瞑想に専念して、大いにめざめておれ。心を平静にして、精神の安定を保ち、思いわずらいと欲のねがいと悔恨とを断ち切れ。」(SN972

 

部派仏教は教学仏教であり、大乗仏教は創作仏教である。いずれも後世の仏弟子による「解釈」であって釈尊直説ではない。どんな方便であろうと、要は無我に至ればよいのであり、いずれも仏教ではあるが、釈尊自身は、バラモン支配に抗した革命家ではなく、世界を体系化した哲学者でもなく、魂の救済を説いた宗教者でもない。現世における人々の苦の解決に当たった、いわば臨床心理士であった。その教えが展開して哲学や宗教としての仏教となったのは、釈尊入滅後のことである。ここに後世、南インドの達磨が中国に渡って禅を広め、道元が中国から日本に禅を持ち帰った意義がある。彼らは一巻の経典も携えず(不立文字)、その身一つをもって釈尊直説、すなわち最もピュアな原型としての仏法を伝えたのである(教外別伝)。彼らは人間ゴータマ・ブッダの教え(釈尊直説)に回帰することを唱えた、まさに仏教原理主義者であったと言っても過言ではない。

以上が主な釈尊直説であるが、その根本となる教え、すなわち釈尊が悟った内容は何であったのであろうか。「無からは何も生じないのに、どうしてこの世界が有るのか?」という究極の問いに対する答えを釈尊は見つけた、というのが私の考えである。我(アートマン)を認めると、あるとき突然、無からこの世界が生じたことになってしまうが、それは背理である。とすると、この世界は無始無終で、他に依存して変化し続けているというほかない。つまり無我であり、この世界は因縁生起(縁起)していると考えるしかない、ということである。無常といっても、また空といっても同じ意味である。それまでのウパニシャッド哲学では、梵(ブラフマン)という超越的存在と、我(アートマン)という独立不変の実体を認めた上で、その合一(梵我一如)を説いていた。つまり、絶対的存在と常住の存在を認め、どうすれば真理に到達できるかを論じていたのである。それではこの世界が有ることの説明がつかない。そのことに初めて気が付いたのが釈尊であろう。この無我(縁起)を出発点として、四諦・八正道などの教説に発展していったと考えられる。