心を調える

 お釈迦さまが布教の旅の途中、ウダヤナ王という国王が多くの家来を引き連れてお釈迦さまを訪ねてきました。(私は今、諸国を征服し、その威徳の盛んなることは天日のごとくである。頭には天冠をいただき、身には瓔珞をまとい、多くの家来、美女たちを従えている。どうだ羨ましくないか?)お釈迦さまは(我に羨心なし)と答えられました。全く羨ましいとは思わないという意味です。お釈迦さまも一国の王子でした。財産や権力など世間でいう幸せの全てを捨てて出家され求道の生活に入られました。お釈迦さまの幸せと、ウダヤナ王や世間一般の幸せとは全く方向が違いました。

 お釈迦さま曰く(人は皆、生まれてくるときは裸で生まれ、死ぬ時も裸でゆかねばならない。このしばらくの中間にさまざまな着物を着る。王のような華やかな着物、金持ち、貧乏、美人、主義、優越感、劣等感など、全ては衣装。ほとんどの人がこの衣装にばかりに目を奪われて一生を終わる。全てを脱ぎ捨てた裸の私自身をどうするのかを忘れてしまっている。持ち物である限り無常という、うつろいゆく天地の道理の枠外に出ることはできない。わが子、わが妻としてかけがえのない命として大切に思っていたものも、お迎えが来ればおいて逝かねばならない。今日只今をどう生きるかを本気で問い、いつ死んでもよい生き方が最高の幸せである)

 先般の舛添知事の問題も自分の衣装に執着し欲望を抑えられずに、公の為に誠心誠意尽くすという心が欠如した結果だと思います。私を含め人の心は乱れがちになりますが、心を調えて精進したいと思います。