仏教とキリスト教等の最大の違いは、唯一絶対・全知全能のアプリオリ(先験的)な存在(=人知の及ばない神)を前提とするかどうかです。

 仏教は、今から約2600年前にインド北方にあったカピラ王国釈迦族の皇太子であったゴータマ・シッダールタ(お釈迦様)が皇太子の身分を捨て去って出家され、長年の修業の末にこの世の真理を悟り、これを教え説いたものです。お釈迦様が新たに何かを創造したものではありません。お釈迦様が「気付いた」こと、この世の真理、いかに生きるべきかを説いた教えが仏教です。ですので、今生きている我々自身も、教えを聞き、理解し、実践して、お釈迦様と同じ境地(=悟り)に至ることができる、という教えが仏教なのです。仏とは仏陀を略したもので、真理に目覚めた=悟った人のことをいい、お釈迦様以外でも悟った人は仏陀=生き仏と呼んでよいのです。

 これに対して、キリスト教やユダヤ教、イスラム教などの一神教は、人知の及ばない神という絶対的な存在が、地球や人や動植物を創造したとされ、その神との契約により、神を信ずる者は神の無償の愛によって最終的に救われるという教えです。神が存在しなければ教えの根幹がくずれてしまいますので、前提として神の存在をアプリオリ(先験的)なものとして信じる以外にはありません。これとは反対に仏教は、絶対的な存在を認めるどころか、すべてが移り変わるという変化そのものが真実であり(無常)、さらに自我意識により確固たる自分が実在するとの思い込みを手放す(無我)ことで個々が救われると説きます。非常に科学的であり、まさに正反対の教えというべきでしょう。

 ですが共通点もあります。私的な意見ですが、キリスト教で、アダムとイブが禁じられた智慧の実を食べて、恥じらいを覚え、神の世界から追放されたというのは、仏教で説くところの、自我意識を持ってしまった(悩みの種を自ら作った)ということに共通するのではないかと思います。