十牛図


古来、悟りに至る過程を段階的に表したものとして有名な「十牛図」があります。何を牛にたとえているかについては、「心」とか「煩悩」と解釈するのが一般的ですが、「真の自己」すなわち本当の自分探しの旅を表しているという見方もあります。ですが、このコーナーでは逆に、牛が表しているものは認識対象としての自分=道元禅師のいう「他己」であり、牧童が表しているものが認識主体としての自分=道元禅師のいう「自己」であって、自己の身心および他己の身心をともに脱落させるまでの過程を表しているという視点で解釈しています(管理人作、十牛図は伝周文・筆、相国寺・蔵)。

第1段階 尋牛(じんぎゅう)

自分を探し始める

 

自分とは何か。なぜ自分は存在し、生まれて、生きて、死んでいかなければならないのか。自分探しの旅に出ましたが、まだ探しているものが何であるかも分からず、手探りの状態です。

第2段階 見跡(けんせき)

答えは自分自身の中にある

 

迷いながら夢中で探していると、答えはどこか外にあるのではなく、自分自身の中にあるのではないかと思い始めました。

 

第3段階 見牛(けんぎゅう)

自分の正体を一瞬かいま見る

 

 今まで自分であると思い込んでいたもの(他己)は、自分ではないと思い始めました。

 

第4段階 得牛(とくぎゅう)

対象化された自分は自分の正体ではないと知る

 

思い込みの自分(他己)は単なる想像の産物に過ぎず、自分ではないことがはっきりと分かりました。

第5段階 牧牛(ぼくぎゅう)

対象化された自分は消し去ることができる

 

思い込みの自分(他己)はなかなか消えませんが、コントロールできるようになり、過去の後悔や将来の不安に苦しむことはなくなりました。

第6段階 騎牛帰家(きぎゅうきか)

認識できないものが自分の正体であると知る

 

思い込みの自分(他己)に同化していた自分(自己)に気付き、自分探しの旅は終わりました。

第7段階 忘牛存人(ぼうぎゅうそんじん)

他己の身心が脱落する

 

対象化された自分(他己)は完全に消え去りました。それでもまだ、認識主体の自分(自己)がいると意識している自分がいます。

第8段階 人牛俱忘(じんぎゅうぐぼう)

自己の身心も脱落する

 

さらに進んで、対象化された自分(他己)だけでなく、認識主体の自分(自己)さえも忘れ去りました。

第9段階 返本還源(へんぽんかんげん)

山川草木すべての命が輝き始める

 

他己も自己も忘れ、自分と自分以外(環境)との間に境界がなくなると(無我)、自然がそのまま自分の正体であることに気付きました。探し求めるまでもなく、最初から何も失っていなかったのです。

 

第10段階 入鄽垂手(にってんすいしゅ)

娑婆に戻って衆生に手を差し伸べる

 

衆生ほんらい仏なり、衆生のほかに仏なし。既に仏に戻りました。深山幽谷にとどまらず、社会の人々と交わって迷える衆生を導きましょう。