10月参禅会

曹洞宗の宗祖、洞山良价禅師の著書とされる、宝鏡三昧という経典の一節を解説いたしました。赤字が原文で、(  )が和訳です。

世の嬰児の五相完具するがごとし。

(仏法に通じる生活とは、赤子に大人が備わっている、起きる、立つ、来る、去る、言語の5つが備わっているようなものである。)

不去不来、不起不住、婆婆和和、有句無句、ついにものを得ず。

(赤子には、去る、来る、起きる、立つことが出来ず、言葉もわからないので、バーバーワーワー、ウームーとしゃべるだけで、自分の力では物を得ることが出来ない。婆婆和和、有句無句とは赤子の声を当て字にしたもので、疑似音を経典に漢字で表現されているのは珍しいこと。)

語未だ正しからざるが故に

(赤子は言葉がわからないおかげで、執着しないし、自我が無いので悩み続けることがない。仮にたたかれても痛いから泣くだけで、相手を憎むことなく、身体の働きにお任せして自由自在に生きている。ただそれを自覚する力が無いので活用ができない。)だからこそ、赤子の無我の活動を自覚する大人の智慧が大切である。

 

 ところが、成長して言葉を知ることで、分別心が生まれ、自分と母親、自分のおもちゃというように、自他の見を持つようになるのが迷いの始まりであり、そのまま他者との競争を経験しながら大人になります。生きるには分別心は必要ではありますが、執着せず、大人の智慧を持ちつつ、赤子のように自由自在な心で生きるのが、安楽の生活だと説かれています