9月参禅会

 

 自死願望のある人の原因は様々ですが、自分が人に必要とされていない、存在意義がないと思い込むことや、自分が常につらく苦しい状態にあるという思い込みから、生きているのがつらいという連想に至ってしまう事と思います。

 思い込みというのは、本来移り変わっている自分の状態を、固定的な枠の中にはめることで、自分を縛るものです。生きているというのは、様々な思いが起こることですが、縁に触れて心が動いた後に、それが辛い思い、うれしい思いと評価しているのが人間の性です。ところが、つらく苦しいことが繰り返されますと、つらい、苦しいという思い込みを先に定義してしまい、心を自らつくった思い込みという呪縛に合わせようとしてしまい、追い詰められてしまうのではないかと思います。

 呪縛とは、人生の意義や、幸せの価値観、男らしい生き方、女性らしい生き方などのように自分で自分を縛るものです。

 

 瑩山禅師の説かれた、信心名提唱に、(玄旨を知らずんば、徒に念静を労す)とありますが、只管打坐の体験がないと、坐禅に静かな境地を求めようとしてしまうという意味ですが、他の祖師方も、この部分を繰り返し強調するのは、自分を縛ることを諫めているからだと思います。