5月参禅会

 坐禅中の気付きについて

 坐禅中の過ごし方について、思いが出てきたらその様子に気付いて下さい。気付くとその思いは途切れます。という事を頻繁にお話ししておりますが、その気付くということ自体も思いではないかという質問がありました。

 たしかに気付くことも思いではありますが、思いには、価値判断の有無があります。坐禅中の思いを手放すというのは、私、私のものという前提から起こる価値判断を伴った思いを手放すという事です。

 例えば、何十年も会っていない旧友を思い出したとします。それは記憶ということです。その瞬間に思い出していると気付きます。ここまでは私や価値判断は入っていません。この気付きがないと、旧友の名前や過去の出来事、自分にとって良い友だった、など、私という意識を持ち出して価値判断が始まります。この価値判断を伴った思いを手放すという事です。

 

 ところが、頭は、思いの世界が大好きですから、事実の世界に行かせないように退屈さを感じて、思いを起こすように足掻くわけです。思いの世界と事実の世界は両立しません。思いが起こる瞬間と事実を感じる瞬間が目まぐるしく移り変わっていることに気付くことが大事なことです。