4月参禅会

4/3は10名の参禅で、仏教教義の空や無我についてお話ししたことを要約して記します。

 無我や空を理解することができません、という類いの質問をよく受けますが、空や無我、無常はそれぞれ別々の教義として説明されていますが、体験からすれば同じ教義とも言えます。

 

 空とは、お釈迦様本人の言葉ではなく、縁起の法を発見され、それを空性であると説かれたものを略して空と表現しています。縁起とは、全ての存在は独立して存在しているのではなく、様々な縁によって起こり、縁によって滅するという事です。それはこの身体も縁起なる存在で空であります。

 

 因果、因縁という教義がありますが、因果の因とは直接的な原因のことで、因果の説明として、たたくという行為が因で、痛いと感じるのが、果です。教えとしてはこのように解釈されますが、体感からすれば、因も果も事実の後の講釈です。また、因縁とは、直接的な原因の因と、間接的な原因の縁のことで、縁とは人知では測れない原因の集大成です。

 今、私たちが生かされているのは、測り知れない無数の因縁のおかげで今があるという事です。縁のおかげの今がこの身体であるので無我であり、その今も刻々と変化の連続であるので無常であります。そして無我であり、無常であるこの身体が知覚する世界も同様に、その時々の因縁の様相なので空であるという事です。