11月参禅会

11/9の参禅会では、以下のように他力本願についてお話ししました。

 他力本願という言葉がありますが、意味を間違って解釈している人が多いようです。一般的には(他力本願ではいけない、自力更生でなければならぬ、人に任せて努力しない)という具合に悪い意味で解釈されていますが、本来の意味は、自分の努力で出来る事と出来ない事を明らかにして、出来ない事は自然の真理にお任せするという意味です。

お釈迦様は、(人生は思い通りにならない)と説いています。自分の努力で可能なものは意外に少ないのです。例えば、この体は自分の物だから自由になると思っても、自分の意思でコントロールできるのは、医学的にいえば口と肛門と呼吸と手足の動きだけだそうです。胃や心臓や肝臓などは、自分の意思とは関係なく働いてくれています。自分の都合で動かしたり休めることはできません。耳は聞こうと思わなくても聞こえますし、目は見ようと意識しなくても景色を映してくれます。鼻は臭いにおいも良いにおいも感じ取ります。生まれてきたのも自分の意思ではありません。私たちは自力で生きているのではなく、他力で生かされているという事です。そこを自覚すれば、この身体を大切にするのは無我の教義とは全く矛盾しません。ここは大事なところです。

また、生きているということは様々な悩みが生じます。老いること、病気になること、死することは絶対に逃れられません。これを生老病死と呼びますが、これらを苦しみととらえるのか、宇宙の真理として素直に受け止めるか(他力本願)で生き方は変わってきます。例えば、しわが増えた、白髪が増えたといって、それを隠すことはできてもそれを止めることはできません。これを苦しみと受け止めるか、真理として素直に受け止めるかです。

また、死について、延命十句教に命の保証は、吐く息と吸う息の間だけで、今日一日の保証さえないと説かれています。

命は今日1日限りと宣告された時、今まで執着し、大切だと思い込んでいた事や価値観は本当に大切なのか気付かされると思います。真理を自分の願望を入れずに客観的に受け止め、自分の努力で何とかなるもの、ならないもの(他力本願)をしっかりと明らめることが大切なことです。