9月参禅会

9/7は9名の参禅でした。今回は事実と思いの関係について、以下の話をしました。

 思いは必ず事実の後に生じますが、私たちは、後から生じた思いを事実そのものとすり替えてしまう癖があります。私たちは、気にかけていることがあると、気になっている思いを中心にして解決策を探そうとします。例えば、スポーツの試合で何度もミスをしてしまうと、ミスをしてしまったという思いにこだわって、なぜなのか、またミスをしたらどうしようと思い悩んでも、解決にはなりません。思うより実際にやってみるより先に進むことはできません。

 坐禅も、思い中心の時は、何のために坐るのか?うまく坐れていないなど、考えているうちは只管打坐になりません。自分が坐っているという表現は、自分を外から見ようとしている思いの世界です。その思いが自分だと思い込んで、自分が怒っている、自分が喜んでいると表現しますが、幸せか、不幸かはその時々の思いであり、本来はどちらでもありません。どちらでもないという事は無限定であるという事です。その無限定である思いを自分の思い通りにしたいと考えるのが、自我であり無明であり悩み苦しみの原因です。

 日常生活でも、一つ一つの行為が思い中心の行為なのか、思いを離れた働きなのかを注意深く参究いただきたいと思います。次回は10/6の午後からです。