11月参禅会

なぜ坐るのか

 

 正法眼蔵の弁道話は、坐禅の質疑応答が記されております。その一つに、ある僧侶が「行住坐臥という4つの実践法があるのに、なぜその一つの坐禅だけを強調するのか?」という質問をします。行住坐臥とは、行は動いている時、住は止まっている時、坐は坐禅をしている時、臥は横になっている時という意味です。その全ての状態が坐禅と同じ修行法であるべきと説かれているのに、なぜ坐わる事だけを強調するのかという質問です。この問いに道元禅師は「坐禅はお釈迦様から歴代の祖師方が実践してこられたからであり、それ以上の理由を聞くべきではない」と答えています。一見、不親切に感じる問答ですが、私は、道元禅師の思いやりであると推察しています。質問した僧侶は、坐禅の実践がほとんどないので、なぜ4つの内の坐だけを強調するのかと考えたのでしょうが、それは4つの実践法をそれぞれやってみれば自覚できることです。一つ一つを説明してしまえば、その僧侶は知識としての納得はできても、そういうものだという満足感から実践を怠るという配慮から、お答えにならなかったと推察します。例えば、経行は行の坐禅であり、生活の全てが禅であるのが理想でありますが、正しく坐ることができなければ、正しい経行は出来ないという事です。ですから数回の体験で諦めずに、坐る時間を決めて、まずは一か月、毎日続けていただければ習慣になると思います。過去に参禅され、御無沙汰になっている方の参禅もお待ちしております。