7月参禅会

前回、慧能禅師の、心には塵や埃はないという話をしたところ、参禅者から、では今のありのままの自分で良いのですね?という鋭い質問を受けました。これは坐禅をなぜ行うのかという質問と関連する問いです。坐禅は一切の見返りを求めずに只坐すると説かれていますが、坐禅に効能がないと説いているのは、一般常識で考えられるような効果効能がないという事で、自己の真相を知るという大きな効能はあります。自己の真相を自覚できると、欲望や執着を無理に抑えようとする事ではなく、心は自然に整っている事実に気付くことができます。坐禅に見返りはないと説かれているのは、人は自分の考えで、心をどうにかしようとする傾向が強いので、それを諫める祖師方の思いやりだと思います。

 

 坐禅を体験された人の思いは大きく分けて三つあるように思います。一つ目は、坐禅に興味があるので軽い気持ちで坐ってみたら、ただ足が痛いだけだった、体が辛くて懲りてしまうという人が大多数だと思います。二つ目は、初めて坐禅した時に、安らぎを感じ、二度目以降もそれ以上の事を求めてしまい、何かしらの効能を期待して数回坐ってみたが、あまり効能がないと自身の考えで判断して、やめてしまう人。三つ目は、坐禅を継続できる人。このように分類できるように思いますが、坐禅が長続きしないのは日常生活のほとんどが、見返りや、やりがいを求めて行動しているわけですが、坐禅はそれと正反対の行為だからです。日常では、やりがいや効能を求める心は必要ですが、その思いが強すぎると、思い通りになった時は気持ちが高揚し、そうでないときは失望感が大きくなり、時には自分を見失う事にもなります。坐禅は自己を忘れるなりと説かれていますが、自己を忘れるとは、現前の現象だけがあるという事で、前述した自分を見失う事とは全く意味が違うのでご注意いただきたいと思います。