6月参禅会

6/8は9名の参禅で、知恵と智慧の違いについてお話ししました。

 般若心経の般若は智慧という意味です。知恵と書きますと、一般常識的な頭が良い、知識が豊富という意味になりますが、仏教で説かれる智慧は、頭が良い悪いという意味ではなく、真実を正確に見ることができる力のことを意味します。

 私たちは真実を正確に見ているようであって、実はよく見えていないものです。その理由は、事実に自分の都合を上乗せして事実を評価するからです。例えば、外で催し物がある時に雨が降りますと、あいにくの雨と表現します。しかし雨を待ち望んでいた人から見れば、恵みの雨と表現します。人の都合から見れば雨があいにくになり、恵みにもなります。真実は、雨には善悪はなく、それを決めているのは人の心ということです。

 

 一水四見という教えがありますが、人から見れば、水であっても、魚には住処であり、天使には透き通ったガラスであり、水を嫌う餓鬼には業火と見える、という意味です。私たちは常に、事実に自分の都合を載せて善悪を判断する習慣がついています。自身の都合を加えずに、事実をありのままに見るのが智慧であり、正見であります。坐禅はその思いが起こる以前の事実に親しむ修行です。事実に思いを加えなければ、全てはありのままに調和しているという事です。