坐禅はスポーツと類似するところがあります。いずれも理論は必要ですが、その理論を実践してはじめて具現化できるという事です。そして、過去や未来に対する思いに執着せず、今この時に気持ちを向けている事が大切です。例えば、水泳の競技中に他の考え事をして泳いでいる人はいないと思います。ただひたすらに全身を動かしていると思いますが、坐禅もその様でなければなりません。しかし、水泳の理論を理解しても、日々実践しなければ上達しないように、坐禅も日々の実践がなければ正しく坐れません。
また、相違点は、スポーツは明確な目標が立てやすいが、坐禅は目標を持ってはならないと示されております。なぜならば、目標とは自分の思いを満たそうとする思いであり、坐禅は思いの起こる前の世界に帰ることだからです。ですから、目標は立てようがないし、もし目標に近づいたと思ったなら、それは大きな勘違いです。また坐禅の意義を聞きたがる人がいますが、意義がなければやれないという思いが、すでに坐禅の意義から外れているという事です。坐禅の意義は、常識的な意義ではなく、只管打坐が出来るようになることです。そうすれば、意義、やりがいは迷いの元であり、意義や思いは元来、無いところから心が作りだしていると自覚することです。もちろん、それらを否定することではありません。次回は5/10の予定です。