9月坐禅会

 

       私とは何者か

 

道元禅師の教えに(仏道を習うというは自己を習うなり)という言葉があります。仏道とはまず自分が何者なのかを参究することであるという主旨です。もし私とは何者かと聞かれた場合、一般的には自分の氏名や経歴、現在の立場、性格などを説明すると思います。確かに他人に私を紹介する意味では正しい答えですが、自分自身に私とは何者であるかを参究することが、自己を習うということです。例えば、数回会った程度の知人のAさんを、何万人もいる人ごみの中から探さなければならない場合、まずは性別や年齢、外見を頼りにAさんを探すと思います。そして外見の似た人がいれば、現在の住所や職業などを聞いてAさんだと確認することになると思います。ですが、何万人の人ごみから自分自身を探してくださいと言われた場合、自分を間違える人はいないはずです。なぜなら、外見や今の職業、過去の経験とは一切関係なく、直接五感でこの身体を感じているからです。外見や今の職業、過去の経験とは一切関係ないからこそ、この身体は自由自在な存在であり、無我なる存在なのです。しかし、私たちは過去の経験や経歴を握りしめ私と勘違いしています。私とは、今この時の事実であると気付くことが坐禅の要点だと思います。