7月坐禅会

 

        瞑想と坐禅の違い

 

 ヨガやマインドフルネスでは、瞑想するという表現をしますが、坐禅は身心を開放することで瞑想状態になると表現します。お釈迦様が瞑想するという表現は間違いで、瞑想に入るという表現が正しいと思います。ヨガなどの瞑想は、自分の都合の悪いところを克服して幸せな境地に向かうという目的をもって行うようですが、幸せな境地を得たとしても、それは一時的で長くは続きません。

 

 例えば、長い時間立ち続けていると、立っていることが苦痛になり、早く横になりたいと思います。横になった瞬間は幸せな気持ちになりますが、時間と共にその気持ちは薄れ、今度は寝ていることが苦痛になり、早く起き上がりたいと思います。横になることが幸せだったはずが、今度は苦痛に変わります。これは、心は一定の状態に留まることができないという事実を示しています。ここが大切なところです。

 

 坐禅をすると、身体の痛みやしびれなどは常に変化している事がはっきりします。思いも、意図的に執着しなければ、出てきては消え、出てきては消えるの連続です。坐禅は、心や身体を自分の思い通りにしようとするのではなく、思いを相手にしないことで、自然に任せるという事です。都合の良いことも悪いことも全ては移り変わる事実の連続です。