十月坐禅会

 

坐禅の要点は習禅にあらず、只管打坐であります。習禅とは自分の考えや思いで目標を立てて行うことを意味しますが、只管打坐とはやりがいや見返りを求めず、ただ坐ることとされています。ただ坐るということは、自身の思い考えを休息して今の事実に親しむという事です。

 

しかし、このただ坐るというのが、一般的には受け入れがたいところと思います。坐禅が長続きしないのは二つの理由が考えられます。一つには、身体的な理由で、坐禅の姿勢自体が苦しい、じっとしていることが耐えられないなどがあると思いますが、これらは毎日坐っていただくことで、ある程度解決できるできると思います。二つ目は、坐禅が習慣になる前に、やめてしまうことです。私の体験では、ただ仏像のように固まっていて、どんな効果があるのか?素晴らしい境地に至れるのか?という思いがあり、数回坐って何も得るものがないと感じれば、自分で見切ってしまうことがありました。また、坐っている時間が無駄な時間と考え、もっと有意義なことに時間を使いたいなどと、考えに没頭して坐禅にならない時期もありました。しかし、有意義な事とはどんな事なのかを参究いただきますと、人が考える有意義な事のほとんどは、やりがいや、達成感を求めて、外に刺激を探していることが多いと思います。この習慣を坐禅には持ち込まずに、ばかになって只坐ることで、外ではなく、こちら(身心)の真相を学ぶことができるようになるということです。