坐禅とは習禅に非ず
坐禅は知識を得ることや、悩みのない境地を得ることを目標とすることではなく、物心ついてから骨の髄までしみ込んでいる思いの世界から離れて、事実を正しく見る実践です。事実そのものには、善悪や、悩み苦しみはありません。事実の直後に自分の思いを事実に重ねる習慣によって、その事実を評価して、喜びや苦しみを思いが作り出していることを体感することが大切です。知識を学んだら実際に座って確認することが大切です。
スポーツに例えるなら、野球選手になるには、基本ルールや知識はある程度必要ですが、ボールを投げる、バットを振ることができなければ話になりません。キャッチボールができないのに、細かいルールや高等技術の知識を本で学んでも、審判になることはできても、選手にはなれません。審判はすでに起こった事実を後から判定するのが仕事です。
スポーツと禅の共通するところは、前後際断された事実を自覚し易いことだと思います。一瞬一瞬のプレーは、考えから離れた行為です。坐禅中だけでなく、スポーツや仕事、食事、入浴、料理をつくるなど、全てが前後際断の世界であることを自覚するのが大切です。