7月20日の坐禅会法話

 

 禅語に前後際断という教えがあります。前(未来)と後(過去)を断ち切って今に徹するということですが、過去に起こった事や未来に起こるであろうことは全て想像の世界であり、事実は今この瞬間だけという意味です。この教えの受け取り方を間違えますと、今さえ良ければよい、過去の反省や未来の計画を立てる必要はないということになりますが、そうではありません。この身は両親や先祖から受け継いだ有り難い存在であり、思いや考えに関係なく、この身を生かそうとしています。

 

この身を私のものと勘違いしている思いを自我意識と呼びますが、この身で自分の思い通りにできるのは、手足や口、目、舌、肛門の動きぐらいです。内臓全般の動きは制御出来ませんし、老化を止めることも不可能です。自由に出来ることが少ないこの身を、思いで支配できると勘違いしているのが、自我意識です。

 

以前に、入水自殺未遂をした人の話を聞いたのですが、人間関係や仕事に疲れて、あれだけ死にたいと思っていたのに、飛び込んだ瞬間にその思いは完全に消えて、只々必死にもがいていた。という話です。

 

只もがくという行為は、思い、考えを超えた非思量の行為です。この身が無我なる存在である証です。この身を殺したいと思ったら、殺したいという思いを殺してください。身体はこの身を生かそうと必死なのです。