我慢と同事

 

 

 

 我慢という言葉は一般的にはこらえるとか、耐え忍ぶという良い意味に解釈されていますが、仏教では自分の考えや信念に固執するという意味で、それを戒めるように説いています。我慢を戒めるために同事という教えがあります。同事とは本来、自分という実体は存在せず、全てが一つであるという、悟りの境地を示していますが、私達凡人に説いているのは、相手の立場に立ち、相手の心と自分の心を同じくしていくことです。

 

 同事行をするにあたり、我慢(自分の考えに固執している)があると、相手の気持ちに立つことはできません。自分の考えに固執していると相手との違いや批判ばかりが見えてきてしまうからです。同事行をするには、自分の考えや信念から離れて、相手の立場に立って相手を理解しようとすることです。それでも私達は相手の気持ちを完全に理解することは不可能であり、わかったつもりにしかなれないということです。わかったつもりにしかなれないからこそ、相手を理解しようと心掛けて、相手の立場に立つ努力が必要です。私が自分のことを大切だと思っているということは、他の人々も同じように自分のことを大切だと思っているはずです。お互いが大切な命を生きていると気付けば、いじめや犯罪などは起こりようがないのです。自他同事の心で精進しましょう。