坐禅会

坐禅は形や作法は大切ですが、最も大切なのは坐禅中の心の持ち方だと思います。私たちの日常の生活では、食事をしながらテレビを見る、話をする、明日のことを考えるなど、今おこっている出来事や今の状態に心が向いていません。日常忙しく活動していますと、自己の心をしっかりと見つめる事が中々できません。

 

坐禅とは、約2600年前、お釈迦様が宇宙の真理を悟られ、悩みや苦しみから完全に救われた実践修行です。お釈迦様は、悩みや苦しみがどこから発生して、どのように克服するかを徹底的に参究されました。そして、悩みや苦しみはすべて自分の心が作り出していることに気付かれました。 

 

では、自分の心の自分とは何か?

 

これを参究するのが坐禅です。道元禅師は(仏道を習うというは自己を習うなり)とお示しになりましたが、自分を外に探すのではなく、静かに坐って自分の心の動きを内から見つめることが大切です。

 

坐禅は、足を組み、背筋を伸ばし、目線を動かさないので、体は非常に不自由に感じます。体が動かせないので、いつもより思考が働きます。その思考に執着せず、今の事実に思考を通さず、ありのままに観察することです。思考しないように努力するということではありません。思考は自然に出てくるので捕まえないようにすることです。

 

坐禅は何かを得る手段ではなく、目的そのものでなくてはならないと示されています。子供は遊ぶことを何かを得るための手段にしていません。遊ぶことそのものが目的です。

 

毎日坐る習慣ができれば手段と目的と区別せずに、坐らずにはいられなくなります。その結果として、集中力が増たり、心が安らぐことはあると思います。(心は無常で変化し続けますが)

 

また自分と思い込んでいるこの身体は、今しか存在していない、手垢のついていない存在(無我)であると気付くことが、最大の安心です。