禅詩


「禅語」の中には難解なものがあり、長々とした解説を読んでもよく意味が判らないことがあります。そこで、このコーナーでは、私なりに理解した「禅語」が本来意味するところを、あえて解説ではなく、詩の形式にしてみました(管理人・作)。

日々是好日(にちにちこれこうにち)

昨日は晴れたのに

今日は一日中雨だ

明日の予報は嵐らしい

でも

好い日悪い日

誰が決めたの

わたしが勝手に思うだけ

一日は一日

それだけのこと

本来無一物・無一物中無尽蔵 (ほんらいむいちぶつ・むいちぶつちゅうむじんぞう)

かわいい我が子が私を苦しめる

築いた自分の財産が私を苦しめる

 この我が身さえわたしのものではないのに

子供や財産がわたしのものであるはずがない

わたしのものなどどこにもない

そう気づいた瞬間に

すべてが手に満ち溢れている

知足(ちそく、たるをしる)

幸せが足りませんか

幸せを探していますか

求めているうちは見つけられないでしょう

なぜなら

幸せはどこか外にあるのではないから

求めて得られるものではないから

失っていないものを

どうして探し求める必要があるのでしょうか

青い鳥のように

それははじめから自分のうちにいて

求めるのをやめたとき

見つかるものが幸せ

柳は緑 花は紅

あたりまえの真実が

ありのままに見えないのは

色眼鏡をかけているから

心の色眼鏡を外してみれば

柳が赤いはずもなく

花が緑のはずもなく

仏である自分が見えないはずもない

隠されているものは何もない

前後際断(ぜんごさいだん)

薪が燃えて灰になるという

でも、薪は薪、灰は灰

薪のときは薪で

灰のときは灰

ただそれだけのこと

生まれる前は死んでいた

死なない限り生きている

川の流れに任せて進む舟のように

自分も時間と同じ速さで流れゆく

過去も未来もなく

今ここに生きるのみ

安心(あんじん)

そんなに不安ですか

不安なのは心ですか

不安な心が見えますか

不安な心を持って来れますか

そんな物がどこにありますか

思いは事実ではなく頭の中だけにあり

頭の中にしかない過去に悩む愚かさに

起きてもいない未来を案じる愚かさに

気付くだけで安心

気付くことが安心 

諸法無我(しょほうむが)

自分探しの旅が流行っているという

いくら外をさまよっても

見つけられるはずもないのに

今は縁あってわたしの格好をしているが

この身はわたしではなく 

この身は宇宙とともにあり

水が低きに流れるように

宇宙の理に従いゆくのみ

平常心是道(びょうじょうしんぜどう)

人は皆、生まれながらにして悟り

赤子のうちは泣くだけ、笑うだけ

やがてこの身をわたしと思い込み

他人と比べて不満を抱き

過去を後悔し、未来を心配し

自ら悩み苦しみを生んでいく

悟りの赤子に戻るには

思いを捨てて、ただ坐る

わたしを捨てて、ただ坐る