岡田監督と野田老師

 

2008年の話ですが、サッカーワールドカップで日本代表は惜しくもベスト16まで躍進しました。日本の岡田監督は、直前の親善試合で4連敗してマスコミなどに非難を浴びていましたが、強い意志を持って前評判以上の結果を残しました。岡田監督は数年前から香川県にある喝破道場に参禅されており、道場主は元大本山総持寺の後堂(修行僧を指導する重役)をされていた野田大燈老師です。この道場は非行少年や引きこもりで仕事が見つからない人、人間関係で悩む人などが寝食を共にし、朝晩は坐禅、作務、昼は農耕をして社会復帰を目指す人や、坐禅をしたい、老師に教えを請いたい人が集まる道場ですが、岡田監督は数年前に本山で野田老師と知り合い、サッカーの指導で大きな迷いが生じた時にこの喝破道場を訪ね、坐禅を通して野田老師に様々なことを学んでいるそうです。

坐禅とは座ることで地球と一体になり、自分という小さな我を捨て(本来固定的な我は存在しない)人の悩みがどこから生まれてどこに消えるのか、思考と現実の違いを体得する修行です。現実は今の一瞬一瞬だけで、それ以外は全て頭が想像した幻影です。ですから生きるということ、仕事をするということはこの一瞬一瞬の行為のみです。サッカーもボールをける瞬間は自分という我は消えています。そしてその時々に最善を尽くし、結果は後からついて来るだけです。岡田監督はこのことを学び、周りの評価に惑わされず最善を尽くされたことと思います。坐禅は生きるうえで大きな羅針盤となります。

余談ですが、岡田監督がオランダ戦の前に、(追われても、追われても食べ物に群がるハエのように、ボールを追いかけるよう選手に指導した)と言った言葉に対し、マスコミは選手をハエとは失礼だと非難をされました。そしてハエをアリと言い換え(追われても、追われても食べ物に群がるアリのように、ボールを追いかける)と言い換えたら非難が消えました。これは人間のものさしです。岡田監督はこの事をわかっていて言い換えたなと、可笑しくなりましたが、ハエは汚い生命で失礼だが、アリは働き者という象徴だから非難が消えたということだと思いますが、全ての生命に無駄な存在はなく、人間が無駄、価値があると決めているだけです。施餓鬼はその全ての生命に供養する行事です。